Radikal紙コラム Avni Özgürel「アタテュルクと女性の服装」
2005年06月26日付 Radikal 紙

アタテュルクと女性の服装(アヴニ・オズギュレル)

ムスタファ・ケマルが女性の服装を規定した言行は一つもない。どのような服装をするべきではないかに関する言行は、今日のアタテュルク主義者を満足させるないようではないだろう。

動物世界においてジャッカルにはある特徴がある。獲物が新鮮なうちは手を付けず放置して、他の動物に食べさせる。そして時間が経過し獲物が腐りかけた頃に食べ始めるのである。この例は我々が解決すべき問題を、まず「腐敗させ」そして「いかに解決するか」を示すために説明した。
学生選抜試験の得点調整問題、イマーム・ハティプ高校、あるいはスカーフ問題・・・こうした問題を本来考察すべき観点から、すなわち教育学的、教育の自由という観点から見てこなかった。それ以外のあらゆる観点からゴタゴタとしてきたのである。
 エルズルムで起きている問題、学生選抜試験での強制、スカーフ危機である。毎日のニュースでこの問題が取り上げられない日はない。しかし「危機」とは、社会的、政治的、経済面などで唐突に出現し、早期解決を必要とされる状態に用いる語である。良心に立ち返って考えてみれば、イマーム・ハティプ高校やスカーフ問題を「危機」と言えるであろうか。

■既知のアプローチ
エルズルム・アタテュルク大学で起きているスカーフ問題に関して、現在まで感情を露にしてこなかった人たちまでに影響を与えた理由がある。ギュネリ・ジュバオールは先週、アタテュルクの副官であったムザッフェル・クルンチュの回想録を引用し、共和国の建国者(アタテュルク)もスカーフに反対していたこと述べた。これはこの国の知識人の病である。つまり思想を主張するのではなく、効力を持たせようとするためにアタテュルクに根拠を求めようとする慣習があるのだ。そゆれえに私は同調できないのである。自分と反対の考えを持つ人間が個人的な考えを述べても、ほとんど重視することなく預言者のハディースを引用するのである。前述の回想録の概要は次の通りである。「解放戦争の準備中、軍隊がある村の近郊で休憩をしていた。その村のイマームがムスタファ・ケマルの側にやって来て、勝利を祈っています、と言った。パシャ(ムスタファ・ケマル)は村の橋の修理を軍に命じ、その仕事が終わるとイマームを呼んで共に勝利の祈りを捧げた。アタテュルクはイマームを気に入りこういったと言う。「ホジャ(先生の意)、私は独身ですが、戦いに勝利して結婚したら、あなたを奥様と一緒にアンカラに招待したい。来てくれますか?」イマームは「もちろんです」と答えた。ムスタファ・ケマルはこう続けたという。「ただ一つ条件があります。奥様がベールを脱ぐことです・・・」イマームが「えっ、しかしそれはパシャ」と言うと(ムスタファ・ケマルは)「イマーム殿、いずれそうなるでしょう。これはすべて認められるでしょう」と言ったという。

■解説の一部
以降はジュバオールの解説である。「つまりアタテュルクは女性がスカーフを脱ぐ自由を、独立の勝利よりも前に考えていたのです。(ムスタファ・ケマルの妻)ラティフェ夫人が大統領官邸でスカーフを被っている写真は、この政策が実現される前に撮影されたものです。
 ギュネリ・ジュバオールは顔を覆うベールとスカーフが同じものであると知らないわけではない。間違いなく知っているだろう。さらにアタテュルクの言行において(スカーフ)の目的としたものが全くないことも知っているはずである。しかし目的は、「・・・アタテュルクが述べることに・・・」と言ってしまえば、それがどうであろうと「回想」が「真実」となってしまうのである。女性の顔を覆うベールや、スカーフ論争はアタテュルクだけに関わる問題ではない。オスマン帝国時代にも顔を覆う服装や隠すことについて道徳的な論争が起きていることは知られていないわけではない。


■興味はアフメッド・ラーシムの行動
古代史や様々な歴史を解説した文章を読んでみると・・・アタテュルクには、ギュネリが思い描いたような「女性がスカーフを脱ぐ自由」に関する構想はなかったのである。ましてや「自由化」などと言いながら女性にスカーフを脱ぐように強要した考えなど決してないのである。もちろん「時期が適さない」という理由でラティフェ夫人にスカーフを被らせていたという説も根拠がない。アタテュルクが実施を決意しながら、時期が適さないと延期していたということもない。それどころが事実は全く逆である。
 彼が時期を気にしていたことといえば、共和制を宣言し、文字改革を実施し、服装の改革であり、その中でもとりわけカリフ制の廃止であったことは信じられるであろうか。

■革新性はない
 アタテュルクが、政治、経済、芸術など生活の全ての面における女性と男性の平等に賛同していたことは疑いない。しかし共和国の建国者達が女性の服装について、今日アタテュルク主義者のように考えていたかは明らかではない。
 赤十字女性支部が開催したティーパーティでのアタテュルクの演説に注目する。「私たちの敵を騙す外見は、女性の格好、服装、覆いの形に起因している。外国と接触する地位にある女性達の格好や振る舞いは、一般国民の格好や振る舞いを代表するものではなく、むしろヨーロッパの模倣であると言えよう。また我が国でも大都市などにおいては女性の服装は私たち本来のものではない。都市の女性達の服装や覆いの格好は二つの形を表している。それは前衛と後進である。つまり何者かもわからないほど過剰に覆った真っ黒な服装と、ヨーロッパにおいてさえ洋服とは見なされないような露出した服装である。これらはどちらもシャリーアが推奨する服装ではない。私たちの宗教は女性を、前衛からも後進からも解放するのだ。これらの服装は宗教が必要とするものではなく、むしろその逆である。宗教的に推奨される覆いの形とは、実生活にも道徳的にも適するものであり、女性達はシャリーアの推奨する形で覆えばいいのだ。隠しすぎることもなく露出しすぎることもなく。宗教的な覆いは、女性に取って義務ではない。女性が社会、経済、仕事、学業生活において男性とともに活動することを妨げない普通の形であればいい。この普通の形こそが、私たち社会の道徳と礼儀にかなうのである。」

■問題は前衛的な人
服装において前衛的な人、ヨーロッパ女性を模倣的した服装をしている人について考えなければならないが、国民にはそれぞれ伝統的、独自の民族的特質があるのだ。ある国民が他の国を模倣してもその国民にはなれないし、自身の国民性も残してはおけないだろう。それは間違いなく失敗に終わる。私たちのスカーフ問題にいて注目すべきことは、一方では国民の精神を、もう一方では生活の必要性を考慮することである。覆うことにおいて、前衛からも後進からも解放する二つの必要性を満たすであろう。服装における国民精神の必要性を満たすためにはイスラームとトルコ人の生活を始まりから今日まで綿密に包括的に明らかにする必要がある。こうして見ると、今日の服装は昔とは全く異なっており、昔よりいいとは言えないのである。女性の生活において、服装において改革を行う必要はない。それより私たちの宗教、民族性、歴史に既存の良い慣習に適切であるべきである。個人は様々な服装をする自由を持ち、自分の好みや礼儀にかなった好きな格好を選べばいい。しかしすべての国民が適切と見なすような、また全ての国民の生活に適す一般的な服装を規定することが必要である。もし女性達が宗教の推奨する服装と美徳が必要とする行動様式で、国民の科学、芸術、社会活動に参加すれば、そうした状態は国民を狂信にすることなく時代に立ち後れることもないだろう。(アタテュルクの演説集第11巻 149-151頁)
 この演説を読んで、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが「アタテュルク主義者」が知らない感情、思想を理解していないを人間だと考えないように・・・
 


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( 翻訳者:大島 史 )
( 記事ID:311 )