WTO承認
2005年05月28日付 Sharq 紙


5月28日付シャルグ紙1面 経済解説

WTO承認

(サイード・レイラーズ)
 イランの23回目のWTO(世界貿易機構)加盟申請が受け入れられたことはおそらく、多少なりともイランの核をめぐる外交が成果をあげていることの結果であり、それのもたらす効果は決して(もちろん長い目で見て)経済や政治の分野に止まらないだろう。イスラーム革命の勝利の後の数年間、方向性を失い矛盾した経済政策の実施と、ときに中途半端な経済の自由化や、貧困を生み富の産出を制限するような公正主義に至る、数々の悲惨な施策によって、国民経済は方向づけられてきた。そこでは、われわれは事実上、WTO加盟を否定するような多くの側面を、経済の構造的・持続的特徴にしてきたが、そこからは一つもその利益を得ることができなかった。

 結果として、現在、イラン経済は最も資本主義的で最も自由主義的な方向と、最も共産主義的な法律・政策とが混ざり合った合金のような状態にあり、1383年に4.8%の経済成長率を達成するには、400億ドル以上の輸入品と2200万人もの人手の昼夜労働を要するほどである。

 例えば、WTOへの完全な加盟が達成された段階で、最終的な成果と最も重要な影響は、輸入品の関税率がおよそ3〜4%減少することであり、それによって最終的には、国家間の経済的な境界は消滅し、それぞれの国が経済の観点から、一つの大国の中で隣接する州のようなものになる。イランにおいては、経済という観点からは、事実上国境というものが存在しないため、自動車のような限られた商品や、鋼や他の金属類のような非常に大きな商業品目を除いて、イランは実際上何年もの間、7000万人の人口を抱え160万平方キロメートルにわたる、関税なしにあらゆる商品が輸入される完全な貿易自由地帯となっている。というのも、たとえば、タバコ、家庭用品、織物、コンピュータそして少量でも価値の高い品目などは、政府が輸入関税を増やそうとするといつも、これらの商品の輸入経路は密輸へと変わってしまうからである。

 イランにおいて国境の税関を通して商品が輸入されるのは、主に輸入業者が国営であるためか、例外的に自動車のように商品が密輸不可能なものであるためか、あるいは政府が自発的、もしくは否応なく輸入関税を引き下げて、商品の密輸を不必要なものにしているか、いずれかの理由によっている。

 イランの消費市場は長年にわたり、最小限の関税で輸入可能な、外国製品に対して完全に開放されたものとなっている。このような自由経済のもっともリベラルな側面のお陰で、輸入業者は有利に利益をあげることができている一方で、他方国内の生産者は、世界で最も複雑かつ共産主義的な労働法、銀行・保険制度、官僚制度、北欧諸国ばりの環境問題関連法規、そして富の生産を完全に無視した政治及び治安の状況といった障害に直面しているのである。

 結果として、もし投資家が投資意欲を削ぐようなあらゆる要因を克服して、イランに投資をしようものなら、何年もの努力を要することになる。それに対して、もしその同じ投資家が商品を国内に持ち込むためだけなら、一週間もかからない。このような中で、政府は、一部石油価格の高騰に起因する懸念の影響で、自らこの不健全な状態を助長している。国内のインフレが続くなかで為替レートが一定であるという状況下で、関税収入が規則的に低下し、投資のための法律や規則が変わらぬままの状態におかれ、政治的・社会的雰囲気には閉塞感が漂っている。このようにして、政府は事実上国民経済を世界に対して無防備な状態のままさらしてきたのである。

 国の輸入額は、1376年の120億ドルから、本年は400億ドルにまで増えたが、国の経済成長率は下降し、それに対してイランの原油の貿易バランスは1バレル12ドルから36ドルに増加した。WTO加盟の手続きの開始は、少なくともイラン経済にとっては、最終的に世界市場との相互アクセスの可能性を用意してくれるだろうし、輸入によって生ずる利益と国内生産に与えられる損失の間に存在する不均衡を終わらせるだろう。要するに、もしWTO加盟にとっての最大の問題が、輸入に対して国境を開放することにあるとすれば、イランではこのようなことは何年も前にすでに起きていることであって、イランの正式なWTO加盟が実現することで結果するのは、外国の市場がイラン国内の生産物に対して開放されるということだけなのである。

 WTOへの加盟にイランが承認されることは、最終的に誰かの損害になるのではなく、むしろ、国民経済にとって利益であり、利益率の向上、損失の漸次的な低減、不正な投資を抑制するための経済状況の透明化、生産業のレベルの向上、国民一人当たりの収入の増加、そしてついには国の経済成長の加速へとつながるものである。もちろん、これらの変化はすべて、当然、経済的差別、不労所得による富の蓄積・追求、および主に国の経済行政レベルに存在するさまざまな特権的ルートの不正な利用、といった背景を排除することにつながる。

 したがって、もしある集団が経済の領域ではなく、政治の領域において、経済的に適切な方向性を有したこれらの変化に対して強圧的に異議を唱え、〔市場原理の〕敗者たち、すなわち経済的弱者たちへの同情にかこつけて圧力をかけるとしても、驚くに値しない。しかし、経済の自由化政策が正しく実施されることによって最大の利益を被るのは、これらの経済的弱者なのである。

 経済の自由化政策の完璧な実施とWTOへの加盟は、最終的には、民主主義と市民社会の実現へのもっとも実効性のある一歩となると同時に、それは社会の公正と貧困の撲滅にも寄与するものである。健全で力強い、政府に対して独立した民間部門の存在なしに、また「小さい政府」の実現、すなわち市民の活力を殺してしまうような政府権力の縮小なしに、そして政府から独立したあらゆる進歩的運動を止めてしまうような行政官僚機構の破壊的な権力の縮小なしに、いかなる市民社会・民主主義も実現することはないだろうし、たとえ実現したとしても、永続的なものではありえないだろう。それはあらゆる国に当てはまることだが、イランのような石油輸出国にとっては、特にそうである。

 リベラル・デモクラシーは、世界と結びついた自由経済に立脚することなくして、堅固なものではありえない。このような点から言えば、イランのWTO加盟が承認されたことによって、イランにおける市民社会と民主主義の実現を求める運動は、たとえ短期間のうちにそうなるわけではないにせよ、新たな、そしてもちろん不可逆的な段階に入ったということができる。このことは、いかに名づけようとも、核計画をイランに自重させることに成功した西洋の特権のあらわれであると呼ぶことは、おそらくできないだろう。なぜなら、この承諾によって、いずれの側が他の側に対して特権を手に入れたのか、いまのところ明らかではないからだ。


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( 翻訳者:南龍太 )
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