ハータミー改革によってイラン外交に現実的な変化が生じた シャルグ紙
2005年07月16日付 Sharq 紙

シャルグ5面外交面

【IRNA】アラビア語新聞「アッシャルクル・アウサト〔注1〕」紙は(先週の)金曜、「イランとペルシア湾岸諸国との関係は20年間不安定だったが、ハータミーの改革により、イランの外交政策に実際的な変化が生まれた」と報じた。

 同紙は「セイエド・モハンマド・ハータミー・イラン・イスラーム共和国大統領は8年にわたる任期中、アラブ諸国、特にペルシア湾岸地域の首長国に対する同国の外交政策に変化をもたらした」と加え、「イランとサウジアラビアの関係は、サウジアラビア皇太子のテヘラン訪問とイラン高官たちのリヤド訪問の後、質的に大きく変わり、また他のペルシア湾岸協力会議諸国もイランとの関係改善に努めてきた」と報じた〔注2〕。

 同紙は、「ペルシア湾岸の一部の国々とイランとの関係は(イランの)3つの島を巡って揺らいでいるにもかかわらず〔注3〕、この間、サウジアラビアに加え、カタールとオマーンもイランと強固な関係を持つに至り、特にホルモズ海峡という戦略的海峡の存在によって、イランとオマーンの間には安全保障上、軍事上の協力関係が生まれた」と加えた。

 アッシャルクル・アウサトは「イランとクウェートの関係は、強固さという点で、カタール及びオマーンとイランとの関係の次に位置しており、イランとバハレーンの関係もまた、アラブ首長国連邦とイランの政治関係に比べ、緊張する局面がより少なくなってきた」と報じた。

〔注1〕アラビア語で「中東」の意

〔注2〕イランとアラブ諸国は、イラン革命後、イランが「革命を輸出」を謀っているとして、長年緊張関係がつづいた。特にサウジアラビアとは、1987年7月メッカで、イラン人巡礼者のデモ隊とサウジアラビアの治安当局とが衝突し、400名以上が死亡するという流血の惨事が起きるなど、イラン・サウジアラビア関係は不安定な状態が続いていた。

〔注3〕アブー・ムーサー島、大トンブ島、及び小トンブ島の領有権をめぐって、イランとアラブ首長国連邦との間で対立している、いわゆる三島問題のことを指す。アラブ首長国連邦が独立する直前の1971年に、当時シャー体制のイランが、ホルモズ海峡の要衝に位置している三島を軍事占領したことに端を発する。ここでシャルグ紙が「(イランの)」とわざわざ付記しているところが興味深い。

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( 翻訳者:南龍太 )
( 記事ID:455 )