Ismet Berkanコラム:最近のクルド関係の展開に関して(Radikal紙)
2005年07月20日付 Radikal 紙

「参謀本部副長官の会見で失望した者たち」

先日「トルコ人知識人(Türk aydını:Turkish intellectual)」とされる数人のグループが共同声明を発表し、分離主義テロ組織PKKの活動中止を訴えた。声明にクルド系の者は参加していないことが気になっていたが、すぐに「クルド人知識人(Kürt aydını:Kurdish intellectual)」を名乗るグループが現れ、彼らもテロの終結を呼びかけた。

アンカラではこの「クルド人知識人」という言葉に神経を尖らせていると本紙ムラト・イェトキンのコラムで知った。ムラトのインタビューに、ある防衛関係者は「クルド人知識人とは何のつもりだ」と答えている。また「私はむしろ彼らをクルド人捕虜と呼ぶことにしている。なぜなら彼らはオヂャランの命令には逆らえないからだ」と答えた者もいたという。
実際、和平やテロの終結の話となれば自らを「知識人」と認識している者たちが前に出てくるのは普通のことである。しかしその際にエスニシティーは問題にはならないはずである。つまり、和平を呼びかけるためには知識人であれば十分なのである。他に別途トルコ人かクルド人かを問う必要はない。

しかしここはトルコである。私には不思議に思えてならないが「クルド人知識人」という肩書きを大事にする者たちもいるのだ。この点については、昨日の参謀本部での3時間に及ぶ会見で参謀本部副長官イルケル・バシュブー将軍が言及しなくとも、そもそも私の中で気になっていたことである。バシュブー将軍はトルコ人知識人・クルド人知識人という風に区別することは社会の分裂につながると述べた。そうは言ったものの、クルド人であり知識人である者は何と名乗れば良いのかについては触れなかった。

実際のところ、クルド人の知識人は何と名乗るべきだろうか?知識人でありクルド人である者を「クルド人知識人」と呼ぶことは本当に社会を分裂させるだろうか?
この問いかけを皆はあまり重要視していないかもしれないが、私に言わせればこれは今我々のいる段階において最も重要な問いである。

2日間にわたって同じことを書いているのだが、アブドゥッラー・オヂャランとその統率の下にあるPKKは再びテロを展開しようとしている。その裏には多様な原因があるのだが、今は原因よりもその目的が重要である。オヂャランとPKKが、成功の望みは薄いもののテロを再開しようとしている一方でトルコにはこの機会を捉えて民主主義的改革と文化的権利を取り戻そうとしている人達もいる。ここで、将軍がこの問題に関しどう考えているのかが再び重要性を帯びたのである。昨日の会見の焦点もそれだった。

いくつかの基本的な事柄に対する将軍の考えを我々は知った。バシュブー将軍は何度も民主主義的権利を尊重していると強調し、記者の質問には「コペンハーグ基準に関して問題はない」と答えた。また「個人的にはもちろん文化的権利に敬意を抱いている」とも述べた。バシュブー将軍の口から「EU加盟のための改革はテロを増幅させた」というような言葉を期待していた者は大いに失望しただろう。しかし彼らは昨日以上の失望を、首相のアメリカ訪問でアメリカ側がPKK幹部を捕まえるようトルコ側に命じた際には経験していたはずだ。

話を元に戻すが、クルド人知識人は何と名乗るべきだろう?
私には、彼らは自分を「クルド系」または「クルドルーツ」として、しかし同時に「トルコ人」として認識するといいように思われる。なぜなら「トルコ人」という言葉は「アメリカ人」という言葉と同じように、ある民族ではなく、多様な民族を覆う傘を意味しているからである。

このことに早く慣れてしまうと良いだろう。この国にもしクルド人が暮らしているのなら、彼らをクルド人と呼ぶのなら、彼らの言語がクルド語ならば、そして異なる民族的起源を持つのなら、当然彼らは自らを自らが望むように認識するだろう。先述したように呼び方に関しては様々な意見があるかと思われるが、固執してはいけない。そのような時代は過ぎ去ったのだから。



Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:495 )