Ismet Berkan コラム「インテリジェントデザイン説、遂にトルコへ」 
2005年08月14日付 Radikal 紙

以前のコラムで宗教と科学の根本的な違いについて書いた。宗教の根底には信仰があり、科学の根底には疑問がある。したがって宗教は静的で変化しない。宗教を変えようとすることは神への冒涜となるだろう。一方、科学とは変化を意味するものである。科学の中に、変化しない「真実」や「善」を押し込めようとするのは、科学を宗教に変えてしまうことに等しい。


科学と宗教はかつて多くの分野で衝突した。例えば宗教は宇宙の中心はこの世界であると主張していたが、科学はというと宇宙には中心がないと示したことが挙げられる。宗教がこの明らかな真実を、つまり世界が太陽の周りを回っていることや、太陽系が銀河系の端に位置するシステムであること、銀河系には何千万という他の太陽があるということ、また何千万もの他の銀河があるということを認めるまでには何百年もかける必要があった。


カトリック教会は、数ヶ月前に亡くなったローマ法王がその職についた最初の頃にコペルニクスとガリレオに対する敬意を示した。キリスト教によれば神は世界を(宇宙を?)6日間で創ったという。世界が宇宙の中心ではないとなると、神はただ世界を創ったのではなく宇宙を6日間で創ったことにしなければならなくなった。つまり宗教が自らを状況に適合させたのだ!


では人間はどのように創られたのか?またも聖なる諸宗教によれば人類の祖先であるアダムとイブが神によって楽園から追放され地上へ送られたという。つまり人類は人間のかたちをして地上に来たらしい!しかし地球上の種の発展に関する非常に重要なある理論を我々は知っている。進化論だ。宗教は進化論に当初から反対し、今も反対し続けている。 宗教は我々が皆アダムとイブの子孫であると信じるよう望んでいる。どうやら我々は自分たちが、何十世代も続く近親相姦の結果ここにいると信じなければならないらしい。


進化と天地創造の間のこの反目は、例えば米国では保守の重要な基準である。つまりもし進化論を真に受けているのならその人は完全なキリスト教徒にも保守派にもなれないのだ!ただし、新保守という流れも米国にはある。この新保守は、はじめのうちはまともな人達であるかのような印象を与えるが実際はそうではないのだ。狂信的であるという点で古典的な保守派となんら変わりはない。彼らは天地創造についてはおおよそ諦めたという状況だ。アダム=イブ説が簡単に擁護できるような理論ではないと分かっているのだ。かといって進化論に寝返るわけでもない。彼らがどうしたのかというと、宇宙の誕生または生物の誕生の中に神の痕跡を見ようとしているのだ。


「インテリジェント・デザイン」という名前を付けられたこの理論は米国で長い間トピックになっているのだが、最近はわが国でも聞かれるようになってきた。次第にわが国の宗教的保守派がこの理論に共鳴し始めたのだ。「インテリジェント・デザイン」とはどんな説なのか?簡単にいうと、「地球上にしか生物はいない。なぜなら地球の条件(大気、気温、重力など)はここに生物が誕生するために特別に全知全能によって計画されたからだ」というものだ。人間も同様に計画された。全ての生態系も…。


因果関係を持ち出すと常に「最初は何か」という課題にぶつかる。例えば有名な論理学者で数学者、哲学者であるバートランド・ラッセルは世界が大きな象の上に乗っていると信じ続ける老人に「ならばその象は何の上に乗っているのか」と聞いた。老人は答えを繕った。「その象も別の象の上に乗っているんだ!」


「最初は何か」という課題とはこういった質問である。現在の物理の理論は宇宙には始まりがあったとしている。これはアインシュタインが彼の理論で創った宇宙である。この宇宙のはじまりには「ビッグバン」という大きな爆発があったと考えられている。これについてはいくつかの証拠すら見つかっている。大爆発の初期には我々の知っているような物理的法則はなかった。これは「特異点」と呼ばれている(同じ特異点はブラックホールの中にもあると考えられている)。この特異点に「インテリジェント・デザイン」を、つまり神を見ようとする者がいるのだ。そしてもちろん「最初は何か」という課題もある。大爆発の原因になったのは何か?答えはもちろん神、だ…。このインテリジェント・デザインについてもう少し考えてみよう…



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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:688 )