Ismet Berkan コラム:ディヤルバクルの再生 (Radikal紙)
2005年06月04日付 Radikal 紙

 長いことディヤルバクルには行っていなかった。昨日、過密スケジュールでディヤルバクル観光をして、ここを長い間どれだけ無視してきたかということに気がついた。ドアンメディアホールディング(Doğan Yayın Holding)が「アナトリアのヨーロッパ」「ブランド力」というテーマのもと開催する、各地方都市での集会がこのたびディヤルバクルで開かれたのだ。私はこれまでこの一連の集会には何度も参加している。先月はチョルムに行った。この集会は各地で注目を集めている。アダナ、イズミル、アンタリヤといったあまりアナトリアらしくない、産業化の進んだ都市でもこの集会には大きな関心が寄せられた。そして昨日はディヤルバクルにいたのだが、もちろん集会は人々の耳目を集めた。
 
 この集会の目的は、ブランド力が各地の産物の付加価値をどのようにして高めるのかについて例を挙げて聴衆に説明することだ。同時に我々記者たちはEU加盟のプロセスが経済全体や各企業、各都市にどのような経済的チャンスを与えるかについて話をする。もちろん話の軸となるのは我々の滞在している都市がどうすればより発展し繁栄するのか、競争力をつけることができるのか、である。
 
 ディヤルバクルでは、障害はひとつや二つではない。チョルムやサムスンも、最も豊かで問題のない都市だとは言えないがディヤルバクルの場合はまた別だ。というのも、ディヤルバクルは象徴的な都市だからである。何を象徴しているのかを説明する必要もないだろう。勝利はしたものの、「散発的な戦闘」とも呼ばれるPKK(クルド労働者党)との戦いでは大きな犠牲を払った。この傷がどのようにして癒されていくのか、またどのように生活は元通りになっていくのか、さらに最も重要なこととして、アンカラ政府がどのように約束を果たして行くのかが試される、ディヤルバクルは、これら全ての象徴である都市なのだ。銃声がやんでから6年がたち、その間ディヤルバクルでいい意味での展開があったことは間違いない。しかし忘れてはならないことがある。この地域では「平和」は非常にもろいものなのだ。シュルナクでの奇襲攻撃、トゥンジェリで爆発した地雷がこの熱望された平和の鳩を一瞬で逃がしてしまいかねないのだ。そしてこのもろさのために、ディヤルバクルの人々は政府の約束が果たされるかどうかに非常に敏感である。ご存知の方もいるだろう、この地ではあらゆるものが何百もの意味を持つことがある。
 
 私が見た限りでは、ディヤルバクルは忘れられている。子供たちが路上で暮らすのは大きな問題である。貧困、失業、路上生活、健康には生きられない条件のもとで生活が営まれているというのは深刻な事態である。これらの問題の背景には過疎化の進む村に住む人々がディヤルバクルのような都会へ流れざるを得なかったという事情がある。同様の問題はアダナ、メルスィン、ヴァン、ハッキャーリといった都市でも見られるが、ディヤルバクルでは特に目立っている。
 
 しかし一方では都市の経済活性化の動きもある。他の都市の仲間入りをしようという計画だ。つまり、コップには水が入っている部分もあるという話だ。ディヤルバクルの実業家や卸売商はすでに未来の興奮を味わい、いくつかの提案をしている。例えば空港の国際化や、中東への輸送のゲートであるハブル検問所の迅速化などである。要するに、私も政府もディヤルバクルを無視してきたが、ディヤルバクルは無視できない存在だということだ。

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( 翻訳者:加賀谷ゆみ )
( 記事ID:154 )