Ismet Berkanコラム「ナショナリズムの程度」(Radikal紙)
2005年04月26日付 Radikal 紙

ナショナリズムや愛国心はある程度まではいいが、それ以上になるとややこしい。「適切な」または「正しい」程度がどんなものかは分からないが、私が個人的に「適度なナショナリズムを持つ国」だと思っている国がある。それはイギリスである。 私が思うには、ある国のナショナリズムの適切な程度を決める重要な要因のひとつは、その国の過去に関して国民が和解しているかどうかである。トルコでの問題はこれだ。我々は過去に対して統一した見解を持っていない。現在同じ社会に暮らしていながら、過去のことで敵対してしまう。

しかし私が個人的に「模範国」としたイギリスでは状況はそうではない。彼ら、つまりブリテン島と連合王国の旗の下で生きる人々は過去に関して優れた統一見解を持っている。例えばウィンストン・チャーチルは生前政治に携わっていた頃、彼を愛する人の数と同じくらいに彼を嫌う人がいたという、論争を呼ぶ人だった。しかし今日では彼が偉大な政治家であることに議論の余地はない。彼の像もロンドンの一番目立つ場所にある。

一方わが国では例えばイスメト将軍に関してすら統一した見解はない。彼はいまだにある種の人たちにとっては「国民の父」であり、またある種の人たちにとっては悪魔である。ロンドンの中心地区はあらゆる軍の組織が戦争で残した功績や戦没者を回想する記念碑でいっぱいである。毎年、「戦勝記念日」は国民の関心の集中する伝統的記念日となる。歴史上の様々な中隊や大隊のメンバーたちはこの日、式の場に姿を現し、全国民がその式を一日中テレビで見る。(中略)

我々の街に像が少ないのは、われわれがイスラム教徒だからじゃない。歴史上の人物たちに関して意見を一致させられていないからだ。80年代にイスタンブル市長のベドレッティン・ダランは、征服王ファーティフの像を建てようとしたが、湧き上がった議論はいつまでも終わらなかった。我々は時には征服王ですら問題にしてしまうのだ。我々はナショナリズムにおいておおかた行き過ぎてしまうように、その反対の反ナショナリズムにおいても行き過ぎることがしばしばある。メルスィンでは小さなもめごとが、みるみる広まり「旗を焼く暴動」に変わってしまった。参謀本部がメルスィン事件の後にあのような説明をしていなければ、トラブゾンでのリンチ事件は起きなかっただろう。私はそう確信している。しかし一度冷静さを失い、行き過ぎてしまったらきっと同じことが続くものだ。過去を理性をもって語れない国民は、未来をも非論理的な窓からのぞいてしまうのだ。




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( 翻訳者:加賀谷ゆみ )
( 記事ID:16 )