Ismet Berkan コラム:トゥルクテレコムの売却(Radikal紙)
2005年07月02日付 Radikal 紙

(訳者注:1日に国営通信社トゥルクテレコムの民営化・売却が成立したことを受けてのコラム。2日のMilliyet紙訳参照。)トルコは20年もの間、民営化に取り組んでいる。私の知る限りでは1983年からの選挙では民営化を主張した政党がいつも勝っていた。しかしなぜか民営化を実現できないでいる。一体なぜだろう?

その答えは、トルコでは権力が選挙に勝った政党の手に集中していないからだとも言える。トルコでは政府機関や司法がしばしば自分たちの理想とする思想を、それを主張するべき立場にないのにもかかわらず主張し、広めてきた。

また一方では政党がどこまで本気で民営化を考えていたのかを検証する必要がある。例えば祖国党は1983から1991年の間政権に就き、民営化というテーマをトルコに持ち込んだ。しかし野党になるとトゥルクテレコムを含む多くの民営化案で反対勢力に回った。祖国党だけではない。ほとんど全ての政党の民営化に対する姿勢は政権に就いている時とそうでない時で違っている。つまり民営化はトルコではよく見られる、一貫性のない政治を作っている重要なパーツである。同じ理由でトルコの政治は社会の利益を守り、異なる社会的利益を自由な空気の中でぶつけ合う場所とはかけ離れたものとなっている。

今一度考えてみよう、トゥルクテレコムを10年15年前に売っていたら今よりもずっと社会的利益に資することになっていたのではないだろうか。簡単に言えば、10年15年前にはトゥルクテレコムは今よりもかなり大きな価値をもっていた。つまり我々に入るお金はもっと多くなるはずだったのだ。しかし問題はお金のことだけでは済まない。以前に売っていればトルコは全く違った国になっていただろう。

「トゥルクテレコムについての問題はいつ売るかということだけではなく、そもそもこの会社を売るべきではないと主張する向きもある」と言う人もいるだろう。だがトゥルクテレコムの売却に反対した者こそ、売却の遅れを招いた張本人である。それは政治家ではなく、憲法裁判所や行政裁判所だ。

民営化の15から20年もの遅れの対価を我々は今とても苦しい形で払っている。 今日行われた売却で手にした利益で国内外の借金が返済されることを我々は願っている。しかしながら15から20年前ならば借金はこれほど多くなかった。売却の利益で教育や医療に投資をし国の基盤を強固にすることができていただろう。トルコは国の社会インフラを整備し教育にさらなる投資をしなければ繁栄した国になることはできない。今日の体制のままではやがて立ち行かなくなる。今我々はその限界に向かっているのだ。トルコはここでギアチェンジをする必要がある。トゥルクテレコムの売却がそれにつながるものであって欲しい。


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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:382 )