Ismet Berkanコラム:政治的イスラムは未完のイデオロギー(Radikal紙)
2005年07月27日付 Radikal 紙

昨今西洋の、おそらくは全ての国で、ある問題が取りざたされている。それは「なぜアルカイダのテロリストの多くがパキスタンあるいはサウジアラビア出身なのか」という問いである。そしてすぐに返ってくる答えは「パキスタンもサウジアラビアも民主主義じゃないから」というものだろう。「これらの国では圧制を敷くために今日までイスラムに多くの特権が与えられてきた。イスラムの特権と圧制がテロを生みやすくしたのだ」という答えは、道理にかなう部分もあるが、問題の全てを表しているとは到底言えない。

昨年スペインの列車の駅を爆破させたのはモロッコ人だった。イスタンブルのユダヤ教会、イギリス領事館、HSBCを爆破したのはトルコ人である。9.11は周知のごとくサウジアラビア人(とエジプト人)がやった。ロンドンの事件ではパキスタン出身者が目立つ。

実際にはテロリストはイスラム分布エリアのあらゆるところから来るのである。彼らには共通項もあるが、それぞれはっきりと異なる点も少なくない。 (パキスタン出身のイギリス人とトルコ人をイスラムという点で結びつけることはできるが、その他の多くの点、つまりイスラムの実践の仕方やアザーンの仕方なども含めた点でその二人は区別されるだろう。)

ではアルカイダテロのキーは何なのだろうか。彼らは何者なのか。アルカイダに集まる者とは?これは私の意見だが、世界に生きる多くの人にとって政治的イスラムは「救いのイデオロギー」として非常に親近感の湧くものなのである。そしてあらゆる救いのイデオロギーには敵が必要である。敵がいなければ誰かを救う必要がなくなってしまうからだ。

遥か昔の預言者の時代からイスラムの敵は変わらないできた。それは異教徒である。つまり真の神を、本当の預言者を信じない、信仰のない者である。その多くはキリスト教徒だった。今日でも「預言者の剣」であると主張されているウサマ・ビン・ラーディンの敵は米国をはじめとする全ての西洋文明、全てのキリスト教文明なのである。

政治的イスラムの抱える最大の問題は、政治的イスラムが実行されている国が実に少ないということだろう。おそらくウサマ・ビン・ラーディンにとってはイランやスーダンですら本当のイスラム教国ではない。タリバンのおかげで政治的イスラムを実行するという夢の実現にかなり近づいたのだろうがそれも米国(彼らのいう悪魔)が来てつぶした。

政治的イスラムが未完のものであること、常に妨害される存在であること、その本拠地であっても地下で生きるしかない違法な反体制活動と見られていることがこのイデオロギーを魅力的なものにしている。きっと世界は、ソビエト連邦の崩壊に似た、政治的イスラムの実行される大きな国の自然崩壊を見ることになるだろう。特にイスラム世界は。しかしその時にこそ政治的イスラムのイデオロギーとしての周辺化とイスラム自体の本当の意味での世俗化を我々は見るのかもしれない。つまり、イスラムのルネサンスは西洋のルネサンスとは全く異なるものとなる。もしもそういったことが起きるならば、の話だが…。


Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:535 )