Ismet Berkan コラム「公正発展党は改革主義政党か」(Radikal紙)
2005年05月20日付 Radikal 紙

 以前にも書いたことだが、もう一度皆さんに思い出してもらおうと思う。私が思うに、トルコの中道右派の政党には必然的な寿命がある。その寿命を決めるのは、その政党が政権に就いた時に、最も貧しく中央のシステムからはずれた外側の人々をより中央近くへ移動させられるかどうかだ。つまり、多くの人を移動させ続ければその政党は存在し続け選挙に勝ち続ける。少ししか人を移動させられない場合や、それを諦めて以前に中央部へ移動させた人々をより豊かにし続けた場合はその政党の寿命は終わったということを意味する。ここでこの理論を公正発展党に当てはめてみると、いまだ外側で移動させられるのを待っている大勢の人がいることに気づく。つまり、公正発展党はまだ道を歩み始めたばかりだということになる。しかしその作業の実際の面を見る必要がある。外側から中央へ人を移動させるということは変革主義であり改革主義であるということだ。トルコの体制を揺るがせ、定着した慣習に戦いを挑まなければそれは不可能だ。つまり、現状維持という狭い型にはまってしまえばその政党は終わったということ。この視点から公正発展党を見てみよう。この党は依然として変革主義だろうか、それともとっくに現状維持派になっているだろうか。

 手を胸にあてて言うならば、公正発展党がもはや現状維持派になったと心底から言うことはできない。しかし一方でこの政党がゆっくりと現状維持派に近づいてきていることも否定できない。現状維持の一例は刑法改正に関する信じられないほどの執着。また大きな声では言わないものの欧州人権裁判所でのスカーフ禁止法の継続の主張。アルメニア問題での異常な態度。しかし公正発展党をすぐに使い捨ててしまってもいけない。私が挙げた例では確かに現状維持派の態度をとっているが同じ政府でも他の分野では変革主義の意見を主張し、その方向で活動している。そのことを忘れてはいけない。

 私に言わせれば、公正発展党は引き返せない道に入ったところだ。座った椅子には簡単に慣れてしまった。トルコをどこからどこへもって行く必要があるのか詳しいビジョンが全くないので手にした成果と得られた賞賛で十分だと考えた。政府は停滞期に入ってしまったのだ。この停滞期に入ってすぐに批判がおきると今度は内に引きこもって現状を肯定しはじめた。つまり現状維持に努めはじめたのだ。このように不運な時期に入ってしまった政党が道を引き返して新たに変革・改革主義の性格を取り戻したという例は見たことがない。公正発展党が近いうちに改革主義に戻ることを祈ろう。

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( 翻訳者:加賀谷ゆみ )
( 記事ID:56 )