チュルケル・アルカン コラム:EUに入れなくても…(Radikal紙)
2005年09月04日付 Radikal 紙

10月3日にはEU加盟の交渉が始まるのか始まらないのか。皆の頭にあるのはこの疑問だろう。交渉は10年は続くと言われているが、なんにせよEU加盟諸国に我々を仲間にする気がないのなら結果は変わらないかもしれないのだ。今までになかった障害や難題が出されることだろう。交渉がトルコの加盟にプラスの方向で終了しても、フランスのような国の国民投票にかけられる可能性がある以上、交渉の結果は無意味になる。つまり交渉が始まるといってもその結果は全く保証されていないのだ。

これまでどの国に対しても使われなかった「的を絞った交渉」という表現でEU加盟諸国はうまくこの会談を提案した。フランスのような国々が「交渉の開始に際しては何の問題もない」と言ったとしても、何年と継続されるこの交渉で彼らはいつでも問題を発生させることができるのだ。しかしながら彼らはなぜあからさまにトルコを拒絶する「いじめっ子」の役を演じているのだろうか。「良い子」の振りをしながら悪いことをする手もあるというのに。私が思うに、本当の理由は彼らが内政においてポイントを獲得することにある。トルコ(やおそらくイスラム)への敵意は右派や民族主義の傾向が強まっている状況では拍手をもって迎えられるからだ。

このような状況にも関わらず、今のところ10月3日に交渉が始まるという空気が支配的である。可能ならばトルコは完全な加盟のための計画を続けるべきである。交渉の間、風は逆風にも追い風にもなりうる。それを今から断定することは誰にもできない。

しかし加盟のための新たな基準が加えられたり、完全な加盟ではなく特別な条件付の加盟が提案された場合は、絶対に受け入れてはならない。(そもそも「関税同盟」は条件付の加盟ではないのだろうか?400億ドルに届く貿易赤字において関税同盟の意味は何だろうか?)この点からエルドアン首相とギュル外相によってなされた発言は正しいと私は考えている。彼らは「もしもEUが完全加盟の下位となる形での加盟を勧めたり新たな基準を持ち出したりしたら、2度と戻らない覚悟で立ち去る」と言ったのだ。

最近よく「EUが交渉をダメにしたら我々にはBプランやCプランといった代わりの案があるのだろうか」ということが言われている。私は正直に言ってそのようなプランに助けを求めるのは間違いだと信じている。我々は人の家のドアを叩き壊して中に入り、あぐらをかいて座るようなことはもちろんしない。我々はできる限りのことを良心的にやってきたし今もそうしている。それにも関わらず彼らが我々を受け入れたくないというのなら、気持ちを理解すると我々は言えなければならない。

トルコは偉大な国である。EUがあろうとなかろうと、経済・民主主義・社会文化生活を発展させるビジョン、経験、意思を持った国である。EUの扉から引き返せば我々にとって多少の損失はある。しかしEUにとっても我々を中に入れなかったことから生まれる損失がある。中東・カフカスで戦略的な重要性を持つ大きな国を中に入れなかったということになるのだ。イスラム世界との対話の扉を自ら閉めることになる。異なる文化のもたらす新しい視点を手に入れられなくなる。急速に成長する経済との合体を難しくしてしまう。

しかし私はこれら全てのことを見ながら「EUへの完全加盟を申請したことは間違いだった」とも思っていない。EUは、特にトルコの民主化の過程に貢献した。政府の運営や市民団体の役目といった観点で我々がより現代的な考えを広げるのを助けた。そして…彼らを信じてはならないこと、彼らはいつでも人を欺くことができるのだと我々に教えてくれた。良い経験になったと感謝している。



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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:804 )