Ismet Berkan コラム: 民主主義を学ぶ過程(Radikal紙)
2005年09月25日付 Radikal 紙

【訳者註:最近トルコではアルメニア問題に関する論争が起きている。これはその状況を踏まえた上でのコラム。アルメニア問題に関しては当月の関連記事を参照。】我々はどう言えば自分たちがほめられるのかを知っている。我々はトルコで1946年から「複数政党制民主主義」なるものが実行されたと主張している。しかしこれは正しくない。なぜなら民主主義とは、単に2つ以上の政党の参加する選挙が実施されることではないからだ。民主主義は選挙以外にも多くのことを含めている。そして私に言わせれば、確かに選択の自由は民主主義の中核を成しているが、そこではむしろ「自由」という言葉が強調されているのだ。

選択の自由が実現されるためには、我々はまず選択されるべき事柄についての知識と見解を持たなければならない。つまり、その国に表現の自由がいかなる制限も受けることなく存在していなければならない。わが国で行きつ戻りつを繰り返しているのが表現の自由である。

1950年に政権に就いた民主党(Demokrat Parti)は表現の自由を約束したが、民主党はこの種の公約をひとつも守らなかった。そして急速に1950年以前のような独裁主義体制に向かっていったのである。1960年の軍事クーデタはひどいものだったが、その後制定された憲法には民主党時代への反発が反映されていたため我が国では様々な自由が確保されることとなった。しかし今度はこの自由が多すぎると判断した者達は1971年に半クーデタ、1980年9月12日にはクーデタを起こした。

それ以来我々は表現の自由の復活を、昨年まで待つこととなった。いやむしろ、今でも表現の自由が本当にあるのか我々は疑問を抱いている。なぜなら、オルハン・パムクがある表現を使ったという理由で公訴されているからだ。【訳者註:オルハン・パムクは有名な作家。今年はじめに「この地では3万人のクルド人と100万人のアルメニア人が殺された」と発言したことから、「トルコを侮辱している」としてイスタンブル検察から公訴されている。】判決によっては投獄されるかもしれない。

このアルメニア問題はクルド問題やアレヴィー派【訳者註:国内の宗教的少数派】との問題と同じように、表現の自由の重要な指標のひとつだ。なぜ重要なのか?このような問題では異なる見解を言うことが「タブー」だからだ。クルド問題ではこのタブーは概ね解消された。アルメニア問題ではやっとタブーを解消させる歩みを踏み出したところである。1915年に起きたことをもはや我々は自由に話し合っている。さてアレヴィー派はいつ論争点になるのだろうか?

タブーが解消されていると言う時、忘れてはならないことがある…。1960年代の表現の自由はおそらく天から降ってきたものとして現れた。もちろん表現の自由を獲得するための闘いはあっただろうが、それでもやはり贈り物のようなものだったろう。今日では表現の自由は昔に比べはるかに高い価値を持っている。なぜならこの自由は単にEU加盟のために手にしたものではなく、その背後に真剣な闘争があったからだ。

今我々は共にこの自由の、民主主義的権利の使い方を覚えているところなのだ。例えば昨日のイスタンブルでのアルメニア会議の会場前には反対派がいたが、実に紳士的で平和的なやり方で抗議運動をしていた。暴力をふるおうとすることもなかった。せいぜいひとりふたりに卵を投げつけたくらいである。彼らも学んでいるところなのだ。そしてこれからも学んでいくだろう。そもそも抗議活動グループがいなければ民主主義の意味もないのだから。皆、暴力に訴えることなく自分の見解を表現し、要望を口にすることを学んでいくだろう。


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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:940 )