CanDundanコラム:オルハン・パムク式文学作法―インタビュー(Milliyet紙)
2006年10月15日付 Milliyet 紙

何年か前、ノーベル賞受賞のオルハン・パムクとテレビのリポートを行い、彼がどんなふうに執筆するのか、私は説明を求めた。彼は「書斎」でたっぷりと語ってくれた。彼自身にとっても、トルコにとっても重要な意味を持つ賞を受け、彼の言葉をここに公開したいと思う。作家を目指すものにとって、指南となるかもしれない…。

昔は、夜に仕事をしていた。街が寝静まって…朝方の4時まで…ちょうど4時に寝ていた。この16年間はそんなふうであった。小説の一番よくできた部分の多くは、夜中に静寂の中で書いたものである。だが娘ができて、学校へ通いだすと私の生活も全て変わった。毎朝、娘と一緒に朝7時に起きて、学校まで歩いて送っていくようになった。

■通りを知り尽くした私の足
「学校から私の“書斎”までは約15分…イスタンブルで最も美しい地区ベイオールの裏通り、ジェノアの雰囲気とレバントの風が混ざる古いギリシャ風のアパートの裏、アルメニア人親方が建てた建物の前を通りすぎながら、その日の予定を立て、早起きしたことに満足しつつ朝の静寂を、街の朝いちばんの香りを、まだ出はじめたばかりの太陽を感じながら、通りを知り尽くしている私の足は、道を熟知した島のロバのように私を書斎へと運んで行く」

■朝が小説を支配した
「昔は夜中に仕事をしていたので街の闇を、夜を知っていた。ある晩、仕事をやめてニシャンタシュの夜でも開いているサンドイッチ屋で買い物をした。夜中に街の通りに出る娼婦たち、車、何が起きたのかはっきりしないが騒がしく過ぎてゆくゴミ回収車やパトカー、市場に現れる野良犬たちのことも知っていた。
イスタンブルの夜の静けさ、夜にだけわかるネオン灯のパチパチという音、どこかでネコがひっくり返したゴミ箱、ひとつひとつゴミをあさる昼間には決して見ることのできない乞食たち…これらは私の小説に頻繁に出てくる。理由は、私も朝方の4時ごろまで執筆したり、そのころに書斎を出て家に戻ったりすることがあったからだ。だが娘ができてからは、このイスタンブルのナイトライフは閉じられた。小説には、朝がより影響するようになった。“ちらほら通り過ぎる車や古いバス、ポアチャ(パン)売りと連れだって歩くサーレップ(飲み物の名)売りが歩道に置いたり持ち上げたりする飲み物が入った銅製のつぼ、乗合バスの停留所の整備員の笛”などだ」

■書斎へ戻るやいなや
「まずする事は、コーヒーを飲むことだ。朝、新聞はそんなに読まない。ちらっと見るぐらいだ。伸びをして枕元で過ごしたくないのだ。奇襲にあった軍人のように、猫のように起き、8分後に朝食のテーブルにつくのが好きだ。16分後に家から出る。新聞は読まない。このリズムが狂ってしまうからだ。国の抱える悩みに関わる小説家の精神、道徳を乱す新聞…悪い1日が始まる原因である」

■何百もの決まりごとが存在しなくてはならない
「整備された機械のように執筆に取り掛かる。いくつかの儀式、決まりごと、体にしみこんだ習慣が私を仕事へと向かわせる。読者は皆、『上手く書くにはどうしているのか?』と質問する。答えはこうだ。執筆業は非常に規律を必要とする仕事である。何百という決まりごとができるであろう。これらが仕事の後押しをしてくれる。仕事場へ行く。コーヒーをつくる。そして小さな儀式を始める。これらは何かと言うと、卓上にコーヒー、小さな紙、すべき仕事。電話は電源を切って、ゆっくり行ったり来たりしてみよう。机に座ってみよう。仕事に向かわせる事柄をする度に幸せな気分になる。これらが幸福だと信じるのだ。こうなると規律または決まりごとは、端から見るとばかばかしく映るが、もともとその儀式よりも、その儀式に服従することが大事なのだ。執筆業において、端からはばかばかしく見えうる私の儀式や習慣は、まさに私を1日中仕事に服従させ、書いたものに尊敬の念を起こさせてくれる」

■自分を奮い立たせながら小説を書いている
「ある意味では、自らを決まりごとで鍛え、押しすすめ、訓練しながら執筆をしてきた。こんなふうにして小説家になれた。
執筆業を、派手なジェスチャーまじりの、偉大で劇的な人生と思っているならば、すぐにでも考えを変える必要がある。小さな部屋でひとり、自らの小さな慣習により針で井戸を掘りながら1日中原稿用紙を見つめ、その作業を好みながら想像力を働かせて生きることを思い切ってできるならば、執筆業という冒険の入り口に立つことができる」

■行き詰ると、行ったり来たりする
「最初に取りかかる仕事は、作家ヘミングウェイのアドバイスに従い、前日に書いたものを読むことだ。これで小説の世界に戻れるし、書いたものをもう一度評価する機会を与えてくれる。いいのか、悪いのか、私はすぐに決断する。イライラしている日だと、すぐにビリビリに破いて捨ててしまう。このためもあってリングノートに原稿を書いている。
私の手は怖がりではないようだ。破くことは最大の批評である。小説が出ると、批評家たちは、あちこちから“かじる”ことができるだけだが、私たち小説家は、批評家たちに殺されぬよう、もっとはじめから批判をすべく破いてしまうのだ。執筆業の基本的な秘密のひとつは、破って捨てること、もう少しましなページなら消して書き直すことだ」

■素晴らしい文章は翌朝に残すべし
「すべての問題はこれだ…最初の文章を書き出せること、一日をうまく始めること、一日の最初の文章をすぐに書き出せること…この事に関し再び巨匠ヘミングウェイの非常に素晴らしいアドバイスがある。
『夕方、日が沈むころ書こうとする良い文章があれば、書くべきでない。それを翌朝に残しておけば、翌朝すぐに書き始めることができる』というものだ。私はこれに従っている。つまり『アフメトはドアを開けた、手には銃を持っていた。怯えていた』という文章ができたなら、それを書かないで翌朝に残しておく。朝、前日書いたものを読み返してすぐにその文章を書き足すのだ」

■一度に書きすぎてはならない
「この文章を書いてから、通常の場合、2番手、3番手が続く。まるで文章が自らを捧げるように。エピソードが『私のことも書いて欲しい。僕の事も書いて欲しい』と叫ぶ。文章が、『私も現れるとしよう』と懇願する。その場面を、登場人物を、元々何ヶ月も、何年も考えてきたのに、それらが文章に変わることは、まるで以前からそこにあったかのような意味を持っている。
大体、5~6の文章を書くとひっかかってしまう。それは私にとって沢山であるからだ。沢山書いたので、明らかにどこかでたるんでしまっている。酷いことを書いている。『ちょっと待てよ、もう一度読んでみよう』読んでみる。幸福感とこの緊張感から立ち上がって歩き始める。そう、もとより1日中している仕事はこれなのだ。
行ったり来たりする。私は監獄に入れられたことはないが、トルコ文学や映画から行ったり来たりすることを知っている。多くのトルコ人作家は監獄で育ったため牢屋を行ったり来たりしながら執筆する。私の1日の多くも、原稿用紙に向かって書き綴ることではなく、行ったり来たりしながら、つまり家の中で、規律正しい方法である所からある所へと素早く行ったり来たりしながら過ぎる。長い廊下を歩く。さらに客間を歩く、より短いが…その間を行ったり来たりしながら1日を過ごす。
行ったり来たりしているとき、このあと小説に登場する名前を考える、彼らの周りで自分が歩いたことを考える。文章を自分の中で感じる。それを書きたいと強く望む気持ちに気づく」

■突然文章が落ちてくる
「気分が乗らなければ、邪魔されているようで、気分が悪い。押しつぶされるような気がする。そんな時は、せめて体を動かしたいと思い、歩き始める。歩く…歩く…文章の周辺でぐるぐる回り、(文章の)左右を組み立てることを考える。最後に、文章がひらめき、それを書く。その文章だけでなく、木を揺らすと梨がひとつでなく5~6個落ちてくるように、5~6の文章が突然ひらめく。それらを集める。満足する、疲れる。そして再び歩く…。
数学の問題を解く高校生のように冷蔵庫をあさり、文章を読む。頭を休ませる。そして再び頭の中の軍隊が召集され始める。再び木を揺さぶる。再び歩く…時間はこんな風に過ぎる。書ける時間は限られている。時間はほとんど、その周辺で軍隊を召集し、考えることで過ぎる」

■お父さん、本がでたのね。見たわ。
「残念ながら、もう昔のように興奮しなくなっている。昔は例えば、『ジェブデッド氏と息子たち』を初めてショーウィンドゥで見たとき、表紙も、どうやって陳列されているかもわからなかった…。
告白しよう、今では全てに口出しする。知ったかぶって表紙にも中身にも口出ししている。だから本を手にした時も全く驚くことはない。今度は、驚くのが娘になった。『わたしの名は紅(あか)』を娘に献呈し、小説のヒロインにも彼女の名をつけた。ある日、娘は書店で、手書きで『オルハン・パムクの新刊登場』と書いてあるのを見た。あわてて私に電話をした。『お父さん、本がでたのね。見たわ』と言った。喜んで飛びはね出した。もう新刊の興奮は娘のものとなった」


■コーヒーと胃薬は必需品
「『わたしの名は紅(あか)』を書き終える際、とても疲れた。そんな時は、間違いやちょっとした失敗が世界最大の災難のように見える。これらに耐えられない、恥さらしだ、皆が『見たかい?くだらないことを書いている』と私を見るに違いない、などと考えてしまう時期だったのだ。小説の最終チェックに全力を注いだ。何か楽しいことをしたくなった。それは何かわかっていた。友達とスティーブン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』を見に行った。映画館は、入り口まで人でいっぱいになっていたが、前の列に座った。私はスクリーンに覆われた。ドルビーシステムで映画館は揺れ、音楽が体中に浸透し、駆け巡った。まるで映画の世界に入りこんだかのようだった、(映画の)戦争の中に、ものすごい恐怖の中に。恐怖すら素晴らしかった。我を忘れた。映画を観ている時は非常に幸せだったがために、最後はかえってがっかりした。その瞬間、映画が小説よりも卓越した芸術だと思ったからだ。映画は、最も疲れきった、最も壊れた思い出であっても私たちを取りこむことができる。私たちを慰めることができる。世界を忘れさせることができるのだ」

■薬、タバコ、コーヒー
「卓上にある胃薬は、執筆における小さな儀式のひとつである。執筆中、時々一粒の胃薬を服用する。文章が思い通りにならないと、胃酸が増すからだ…一粒では胃には役立たないが、頭には効く。
何年も喫煙していた。だんだんと量が増えていった。片手にタバコ、もう一方には万年筆を手にしていた。そして怯えるようになった。死への道を歩んでいると、自制して煙草をやめた。
しかしコーヒーは飲み続けている。これも小さな儀式である。机から立ち上がり、コーヒーを挽く。『黒い本』にも書いたように、堪え性のない男性が意味もなく冷蔵庫をあさる、まるで誰かが新しいものを入れたかのように中を意味もなく覗きこみ、再び歩き、再びコーヒーメーカー、これら全ては小説家が断ち切ることのできない習慣であり、日々の儀式である」

■全世界が‘書け’と叫んでいる
「昨年の夏、無人島にいた、1日12時間書いた。非常に満足していた。島に来るとき、小説のこと以外は考えない。私を探すものは誰もいない。見るものもいない。電話にも出ない。世界から切り離されていた。だがその時、人の頭は、精神は、機関車のように働き出し、矢継ぎ早にアイディアを生み出し、考えをお互いに重ねあわせ、鎖をひとつひとつ繋ぎあわせながら休むことなく考える。私が、書かれる文章になりますよ;まるで自分自身が本になる。いろいろな考えと一緒にひとつになる。
朝起きて、シャワーを浴びる、体のあらゆる部分に水ではなく、小説の考えが流れる。海に入る、うつぶせに寝転がり、考える。まるで海は、小説の一部分のようである。その時、ペンの進み具合が著しく向上する。
ある時期、夜9時半に寝て朝の3時半に起きていた…朝10時までコーヒーを飲みながら異常なまでにただ書いていた。このように静かな環境で、まるで全世界が『さぁ、書くが良い』と叫び、『わかるだろう、一時難しいと感じたことが、どれほど簡単なことか』と言う。自然も、人生もシンプルだ。あらゆる物は嘘であり、あらゆる物は書くためにあり、私はこれからもずっと書き続けるのだ」

■電話のコードは抜いている
「通常電話には出ない。電源を抜いてある。連絡を取りたい人は、ファックスを送ってくる。一時、留守番電話を使っていた。だがそれも、私にガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年間の孤独』にでてきた便器を彷彿させた。そこでは大家族にたったひとつだけトイレがあった。みんな、朝にはトイレに行くため列をなす。これは全員に便器を与えることで解決する。『でも便器で問題は解決しなかった、ただ先送りになったのだ』とマルケスは言う。『夕方には、便器を空にする列ができる』
留守番電話も、これと同じだ。留守番電話にメッセージを残した人に折り返すと、大抵は一度ではつかまえられない。『申し訳ないが、あなたがつかまらなかった、私に用があったようだが、もともと話す事はない』と言うために奔走することになる。これでは問題は解決しない。ただ、問題を先延ばしにし、大きくなるだけだ。だから留守番電話も使っていない」

■空のカートリッジをとってある
「カートリッジ取り替えタイプのペンを使っている。空になったカートリッジをとってある、まるで猟師が空の箱を持つように…カートリッジを使いきると、非常にたくさん書いたということ、仕事が進んだことがわかる。書いたものは、直され、また直され少し混乱ぎみになる。その状態で出版社に送る。今は、より‘有名な’作家なので、出版社の友人達はありがたいことに私のわがままを我慢してくれる。その手書き原稿を、イレティシム出版社のヨーロッパチャンピオンの植字工であるヒュスニュ・アッバス氏が植字する。最も読みにくい私の字を読み、すごいスピードで書いてくれる。たまに、私が書かなくても、彼がよい小説を書いてくれるのではないかと想像する」

■小説の始まりは
「小説はひとつの考えとともに始まる。自分に、『絵に関連した、細密画家に関する小説を書こう』と言う。これはおおまかな考えである。だがさらに、この芽、とでも言えばよいのだろうか、場面、思い出、状態、主人公と言った生活に結びつく側面がある。この2つは、互いにつりあわないかもしれない。だが、いつかこの考えと一緒に主人公が階段から降りるのを目にし、あるいは今日書いた文章がその時にぴたりとはまり、話の詳細を心で感じたとき、小説はもとよりそこから始まり、それを書き出すのである。
小説についての情報を得る時期もある。例えば、『わたしの名は紅(あか)』のために、はるか昔、1990年に図書館へ行った。ノートの最初のページにこんな走り書きがある。『1990年6月1日…イランとトルコの細密画芸術について本を探していた。司書は本が棚にあるのを見つけて取りに行った』
机で待っている時に、この走り書きをしたようだ。その日に、本を読みだした、小説はちょうど9年後に世に出た」

■仕事中に音楽は必要ない
「音楽には、愛と嫌悪の気持ちがある。音楽は、私にとって慰めの道具である…人生において敗北を感じたり、悲しい気持ちになったり、仕事が思うように行かなかったり、そんな時音楽を流す。音楽は私を机から遠ざけてくれる。慰めてくれる。私は音楽について、最も保守的だし、役に立つという理解をしている。(音楽は)私にインスピレーションを与えないし興奮させない。与えたとしても、与えたインスピレーションが、文章に変わることはない。そのため音楽を遠ざけている。書くことに必要なのは、慰めではないからだ。少々攻撃的で、いたずら好きで、やる気のある精神状態である。誰も立ち入る勇気が出ない土地へ入り、それを手に入れる状態である。こんなにもいたずら好きで、やる気のある、攻撃的で狂暴、不正を行うことをいとわない、公正であるよりも大胆不敵な、他人をつらい目に合わせることができる精神には、音楽は必要ない。反対に、私の小説を読む者には音楽が必要なのではないかと考える。私が音楽を聞いているとしたら、他人にこの(音楽の)必要性を感じさせないだろう」

■1日に1ページ
「20年来、書いている。書いたページ数を集計して、割って掛けてみた。私の計算によると、1年で300日近く書いており、170~180ページを書いている。つまり1日あたり0.75ページ書いている。1ページに及ばないが1日がこの上で過ぎてゆく。もちろんこんな日もある。15日がんばって、10ページ書いて、最後には全て捨ててしまうことも」

■小説を書き終えることは、高校を卒業するようなものだ
「その日は、高校を卒業した日のようになる。突然目の前に世界が際限なく広がる、場所も時間も…すべきことが蓄積している。『終わったらやろう』と先延ばしにしていたことでめまいがする。人生はとてつもなく素晴らしい。なぜ皆微笑んでいないのだろうと驚く。だがこんな3日間が過ぎ、その間正しく適切な行いをしていなかったことがわかる。自らにプレッシャーをかけなかったためである。あらゆることを中途半端に味わっていただけなのだ」




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( 翻訳者:井上さやか )
( 記事ID:3699 )