MuratBelgeコラム:ひとつのノーベル賞、ふたつのトルコ(Radikal紙)
2006年10月15日付 Radikal 紙

ある時期から新聞各紙は、オルハン・パムクが今年のノーベル賞受賞へ徐々に近づいてきたと書き始めていた。しかし正直に言って、私はそうは思わなかった。その理由は単に、比較的若い人がこの賞を受賞するのをあまり見たことが無かったからである。

しかし、オルハン・パムクは受賞したのだ。

彼の受賞に、私がどれほど喜んだかを説明するのは難しい。その一方で、私の喜びを説明するよりも、この出来事を解説する必要性を確信している。

私はロンドンへ向かっている飛行機の中でこのコラムを書いている。ノーベル賞受賞の知らせの後、テレビのいくつかのチャンネルを見た。朝も新聞2紙に目を通せたのみである。

私が言ったように、また私が言った理由でオルハン・パムクがノーベル賞を受賞したことで、少しだけ驚いた。しかしこの出来事に対するトルコ国内の反応には、少しも驚かなかった。こうするだろうと私が予想していた作家たちはすぐに、オルハン・パムクがアルメニア人虐殺について話したことと、彼のノーベル賞受賞の間に因果関係を作り上げた。

私が予想していた人びとはオルハン・パムクのノーベル賞受賞がどれほど重要で、喜ばしい出来事であるかについて語った。以前どこかで見かけたような気がする人々もこの出来事を喜び、オルハン・パムクを我々が嫌うように働きかけた。こういった「人たち」の中には、様々な組織も挙げられる。例えばいくつかの政党やメディアである。

オルハン・パムクが世に出る前は、別のトルコ人作家がノーベル賞受賞の候補にあげられていた。ヤシャル・ケマルである。彼も翻訳本のおかげで、国際社会の中で注目、興味を集め、好まれていた作家であった。ナーズム・ヒクメトがノーベル賞候補だと言う声は聞かれなかったが、「ノーベル賞に近いトルコ人作家」と言われて3番目に思いつく名前があれば、それは確実にナーズム・ヒクメトである。

そろそろ本コラムの本論に入ろう。私が言及したこの3人の作家は、トルコ社会の全てとは言わないが、決しては少なくは無い、ある程度大きな集団から、十分な考慮無しに、「売国奴」や「トルコの敵」などといったレッテルを貼られるような、実際貼られた作家である。ナーズム・ヒクメトは、この嫌われ者リストから最近外れた。ヤシャル・ケマルに対しては、つい最近集団による罵りがあったばかりだ。オルハン・パムクはいまだ罵られている。

ということは、国際社会の中で通用している物の見方・価値観と、トルコで大勢の人びとが持っている物の見方・価値観との間には、大きな隔たりが存在すると言える。この隔たりは大きく、明らかだ。一方が批判する人物に、もう一方が賞を与えた。

疑いなく、この隔たりは単にこういった作家が話題になる時だけに明らかになるものではない。すべての領域でこの隔たりは存在し、その結果を我々は常に経験している。

「決して少なくは無い、ある程度大きな集団」と私は言った。しかし社会の全部ではないし、もっと言うとマジョリティーでもない。実際の状況はそうだ。我々はこういったことを、オルハン・パムクのノーベル賞受賞をきっかけに話している。

たしかに世界中で非常に多くの言語へ翻訳され、世界中で多くの作品が出版された。しかしオルハン・パムクは、自分の国トルコでも「高級な文学」を作り出し、また「ベストセラー」も生み出して、つまり誰にも真似の出来ないことをやってのけたのだ。そして、彼を「ベストセラー」作家にしたのは、トルコの読者なのである。

このような2つのトルコの間で闘いは続く:オルハン・パムクのような人を生み出すトルコと、そういった人びとを消し去ろうとするトルコとの間で。



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( 翻訳者:丹羽貴弥 )
( 記事ID:3701 )