目下ノーベル賞はイランの作家の権利ではない ハムシャフリー紙
2006年10月16日付 Hamshahri 紙

2006年10月16日 ハムシャフリー紙

ムスタファー・マストゥール氏、ドイツから帰国/目下ノーベル賞はイランの作家の権利ではない

イランの文学は激しく思想の乏しさに悩んでおり、イラン文学界に偉大な人々が存在しない限り、偉大な作品が創造されることはないだろう。


[ファールス通信]
イランの作家たちは、哲学的な基礎を持たず、この点で、彼らは偉大な作家ではない。世界の偉大な作家たちは、ある種の哲学者であり、独自の世界観を持った人々である。そしてこの世界観という心でもって、独自の物語世界や文体を見出している。

ムスタファー・マストゥール氏は、イランの詩人や作家らがノーベル賞を受賞しなかったことについて、以下のように述べた。「私は、実際のところ陰謀論を支持しない。影響力というものは全ての賞についてまわるもので、誰にもそれを否定することはかなわない。だが、私は、違反が証明されない限りにおいては、全ての賞の成り行きを自然の成り行きであると理解する。」

彼は次のように述べた。「これまでにノーベル賞を受賞してきた作家たちは、ある意味でひとつの概念的な総合的テーマの影響下にあるのだが、我々にそれが欠けており、そのテーマを見つけるまでは、ノーベル賞受賞者を期待することは出来ないのである。そのテーマとはグローバリズムである。だがイラン文学は未だグローバル化していない。私たちがこのことを認めなければならないのは事実だ。この非グローバル化は、内外で弁護されてきた。私たちは先ず、このイラン文学の大きな弱みを克服しなければならない。」

彼は、ドイツ、イタリア、フランスへの最近の2週間の行程から帰り、次のように述べた。「私はこれらの国で、折に触れて出版社や作家、研究者らと話したが、彼らはイランの現代文学に対して何らの関わりも持っていないのだとわかった。そしてイラン現代文学に対する彼らの理解のなさは全くもって明らかなのだった。したがってこの困難が解決されるまでは、イラン人のノーベル賞受賞は、過ぎた期待である。私たちは中東地域においてでさえ知られていないのだ。であるのに、どうして世界に知られていよう」

マストゥール氏は続ける。「イラン文学は未だ世界の人々とかかわりを持つことが出来ないでいる。なぜなら、イランの作家たちは曖昧、複雑に書き、かつ形式にこだわるからである。こういった構造上の問題が文学の中に存在するとき、誰もイランの作家や物語の文学の声を聞くことはない。勿論、いくらかの外的な問題もある。それは、私たち自身が様々なハードの可能性を考慮に入れず、自分自身の作品を世界の人々に対して提示することもないことである」

この物語作家はこう付け加える。「イランの作品が世界の人々に提供されない限り、イランの文学が人の目に触れることはなく、誰もそれについて評価することも無いだろう。イラン文学がグローバル化していないことの重要な理由の一つとして、イラン文学は激しく思想の乏しさに悩んでいることが言え、イラン文学界に偉大な人々が存在しない限り、偉大な作品が創造されることは無いだろう。そして、偉大な作品が創造されない限り、世界の目はそれに対して関心を向けることも無いだろう。」

彼は最後にこう述べた。「イラン文学が政治の争いの中を奔走している限り、いかなる賞もそれを助けることは出来ない」

私たちは、文学を、単に文学として見なければならず、欄外の副次的な問題とは分け隔てなければならない。この時にこそ、文学賞はイラン文学の進歩を支えることができるのである。だが、文学賞を政治の問題と関連付けようものなら、イランの文学を打ち付けることになろう。

彼はアフマド・ダフガーン、モフセン・モメニー・シャリーフ、そしてムハメドレザー・バーイェラーミーらと共に、イスラム指導省から、イスラム指導省文学賞高官として、この旅程に参加したということである。


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( 翻訳者:深澤 )
( 記事ID:3766 )