Bekir Coskunコラム 「『スカーフは心の中で被るべき』に反対する人達へ」(Hurriyet紙)
2006年01月04日付 Hurriyet 紙

一日中私のコンピューターに罵詈雑言が寄せられている。

彼らは「私はムスリムだ」と言いながら、もっとも汚い中傷の言葉を並べ立てている。スルタンタンアフメト裁判所の前で、私の罪を告発し、私への侮辱でいっぱいのプラカードを掲げている。
 
テレビやニュースで、この話題がひっきりなしに報道され、新聞ではこの記事に多くのページを割いている。
 
原因は、テンポ紙に私が書いた「スカーフは心の中で被るべき」というタイトルの記事だ・・・。
 
その記事で、私は自分も含め誰であろうと心の中でスカーフを被っていること、スカーフが政治や商業に利用されること、スカーフを被っている女性は洋装を愛用する男達にそそのかされているいうことを書いたのだ。
 
昨日はコンヤ弁護士会会長がメディア会議を行ったそうだが、その集会のタイトルはなんと「ベキル・ジョシュクンの愚行・・・」というものだった。
どこもかしこも、中傷であふれかえっている。
 
***
私はスカーフを被った女性を侮辱したのではない。私の家族や、私の読者にも多くのスカーフ着用者がいる。彼女たちがこそが、こういった議論でもっとも被害を受け、生活に影響を受けているということは分かっている。
 
しかし、宗教感情を利用している者たち、宗教を政治や商売に利用しようとする者たちは、私の記事を理解したがらないのだ。
なぜなら、宗教は彼らの稼ぎ口なのだから。
 
人々の宗教感情を利用して、ある人は首相になり、誰かは長の座を手に入れ、またある者は楽をして儲け、ある者は評価を高め、また誰かは「立派な人」と見られている・・・
 
こういったことを指摘されたのだから、もちろん彼らは怒るわけだ。
 
でも我々は、決して隠れたりせずに、宗教や信仰の名のもとに彼らが行った罪を指摘し続けるだろう。
 
私を中傷する会議で、彼らが使っている中国製のマイクといい、文章を読み上げるのに使ったスイス製の眼鏡といい・・・その会場へ行くまでに乗った日本製の車、パシャパシャ音を立てたドイツ製のカメラから、イタリア製のネクタイ、フランスのシャツ、イギリス人の発明品であるズボンにいたるまで、まさに上から下まで西欧かぶれの男達を怒らせたのは、私の記事のこの部分なのだ:
 
「・・・女性ほど、男性よりもずっと賢く、より正直で、より利口な生き物が、なぜ気づかないのだろう?・・・どうして彼女たちの頭のスカーフが政治的あるいは商業的に、宗教のぺてん師に、多くの利益や、と国家的な詐欺に利用されるままにしているのだろうか。なぜ“あなた達は西欧文明に喜んで飛び込もうとしているのに、なぜ私には中世のままでいろというの?”と尋ねないのだろうか?・・・」
 
そう、この箇所に腹を立てたのだ、宗教の搾取者たちは・・・

そして私を中傷している。

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( 翻訳者:池田 慈 )
( 記事ID:1685 )