Fehmi Koruコラム:法王ベネディクト16世の訪土をきっかけに宗派間・宗教間の連帯を(Yeni Şafak紙)
2006年11月29日付 Yeni Safak 紙

 法王ベネディクト16世の訪土が全世界の関心の的となっている。2000人もの報道関係者が我が国に来ているというだけでこう言っているのではない。まだ訪土が始まってもいない段階で、世界のメディアに出ているニュースや解説は、すでにファイルが満杯になるほど大量だ。なぜこれほど世界は今回の訪土に興味津々なのか?

 新法王がムスリムの国を訪問するのが初めてだといっても、これまでに法王は何度もイスラム世界を訪問している。ベネディクト16世は、ここ40年間でトルコを訪れた3人目の法王である。これだけの関心は、法王がムスリムの国を訪れることからくるものではないのは明らかだ。

 興味深いのは、法王ベネディクト16世が多くの国の中でトルコを訪問国として選んだことだ。

 法王ベネディクト16世がなぜトルコを選んだのかはよくわかっている。正教世界とカトリック教会との間を取り持つつもりの法王は、できることならトルコである種の「共通の前線」なるものを見出したいという意図を隠そうともしない。バチカンのこうした行動は「十字軍同盟」の形成を想起させ、我々がみな心を傷つけられた反イスラム的な発言と同じく不快感を与えるものである。カトリックとプロテスタントの統合の恐るべき影響が存在する。

 我々はあることを忘れている。それは、キリスト教世界における宗派の誕生、つまりカトリック教会にとってのライバルの出現とは、簡単に無視してしまえるような単純で無意味な理由によるものではない、ということだ。宗派はいずれも、すぐに消えることはない深い神学的・歴史的な複数の根拠を持っているのである。法王や東方正教会の総主教が望んだところで、1000年以上続いた分裂状態に簡単に終止符が打てるはずもない。この問題に取り組んできたのはベネディクト16世が最初というわけではないし、バルトロメオス総主教の前任者たちはバチカンから何度も秋波を送られてきたのである。

 不愉快になったり恐慌をきたすのではなく、なぜ同様の行動を我々も起こそうとしないのだろうか。イスラム世界の分裂状態に終止符を打ち、様々な分野で共に行動できるようにする共同の団体を作ることは、カトリックと正教教会の接近よりもずっと簡単だ。イスラム会議機構(OIC)はこのために存在する。

 法王の訪土を二つの教会の接近を目的としたもの、とだけ理解するのも誤りだろう。法王の訪土によって、より広範囲の連帯が不可欠であることをバチカンに気付かせることもできる。すべきことは、近年になってその欠如がより強く意識されている「精神世界」の欠如をうめることができるような「信仰者の連帯」を形成する努力である。法王ベネディクト16世が我が国の神学者と行うであろう意見交換は、この点で重要な協力関係の模範となりうる。今回の訪問で実現できなくとも、後の対話で実現できるではないか。

 訪土に対する世界の注目は、率直に言えばよい結果よりも悪い結果を見越してのものだ。法王がアンカラやイスタンブルで抗議行動に遭うとか、会談した相手がみな不愉快な態度をとるとか、その類のことを期待しているのである。こうした期待を持っていた者たちは、訪土の初日には大いにがっかりしたことだろう。

 がっかりした人が多ければ多いほど、今回の訪土は成功したということになる。
 

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( 翻訳者:宇野陽子 )
( 記事ID:4008 )