アブディ・イペキチ殺害のアージャ元服役囚、釈放される(Milliyet紙)
2006年01月13日付 Milliyet 紙

メフメト・アリ・アージャ元服役囚 (48)は、ミッリイェト紙主筆であったアブディ・イペキチを殺害し、その後、故ローマ法王ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂で世界に悪名をとどろかせた。アージャは、トルコへ帰国後、5年半服役したカルタル刑務所(E型)から釈放された。

アージャ元服役囚は、カルタル刑務所から昨日午前9時半ごろ出所した。国内外の多数の報道陣が、同元服役囚の釈放のため、早朝から刑務所前につめかけた。警察は周辺警備を強化し、バリケードを設置した。
 
■ 警官に伴われて

アージャ元服役囚を出迎えに来た人たちの一部は、黄色や赤色のカーネーションを手に握っていた。刑務所の向かい側では、アージャの門出を祝って、(神に)生け贄がささげられた。アージャは拍手のなかを警官にともなわれて、民間のナンバープレートをつけた白色の乗用車でまずはマルテペにあるペンディキ国立病院救命サービスに、その後、兵役の問題があるため、マルテペにあるトルコ軍ペンディキ支部に連れて行かれた。

■ 通知書

アージャ元服役囚は、ペンディキ支部に30分間とどまり、取得した通知書に住所を申告した。ペンディキ支部の外へ出てきたとき同元服役囚は、ローマ法王と一緒に撮影された写真が表紙に使われているタイム誌を報道陣に示した。そして友人のメルセデス製乗用車に乗った。アージャの(乗った車の)道をふさいで前に出てきた集団がカーネーションを投げ、手に持ったトルコ国旗を振って声援を送った。警官は、やっとのことで道をあけ、その後、アージャはトゥズラ歩兵師団学校本部に向かって出発した。

国内外の報道陣は、軍管理下に置かれたアージャ元服役囚が診療室での健康診断終了すれば自由の身となること、そして居住地として示されたペンディキの住宅から交番に朝晩毎日出頭し、署名をする予定であることを知らされた。

しかしアージャ元服役囚は、診療室で交付された文書を手に、厳重な警備に守られながら今度はギュルハネ軍事医学アカデミー(GATA)、そしてハイダルパシャ教育病院に連れて行かれた。

1時間滞在した病院の緊急出入口では100人近くの報道陣が彼を待っていたが、アージャ元服役囚は報道陣の目を盗んで逃げることに成功した。ギュルハネ軍事医学アカデミーで行われたアージャ元服役囚の精密検査の書類は、保険委員会に送られ、そして同委員会がアージャ元服役囚が兵役に適格か否かについて報告書を作成することが明らかとなった。


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( 翻訳者:永井 ひとみ )
( 記事ID:1705 )