Murat Yetkinコラム:エジェヴィトは神話の英雄だった
2006年11月07日付 Radikal 紙

入り口の上の階にあるビュレント・エジェヴィトの部屋へ上がったとき、私は自分が人生の重要な段階にいることに気づいていた。1981年の憂鬱な日だった。エジェヴィトはその当時、1980年9月12日クーデタ後に刊行を始めた『探求』誌創刊号で発表した「拷問」と題する記事のために審問され始めていた。

エジェヴィトは以前、1971年3月12日のソフト・クーデタのあとで、軍部に対してそつなく振る舞わずに共和人民党書記長の職を投げ出したのと同様に、9月12日のあとにも彼に対して政治的発言を禁じたケナン・エヴレン大将の統治に抵抗して共和人民党党首の座を投げ出した。彼の怒りの矛先は、彼を支えようとしなかった共和人民党組織、さらには、彼のことを「カラオーラン(英雄)」といって讃えてはみたものの、その実、命惜しさに良心を閉じ込めて、彼を見捨ててしまった民衆にむけられていたのかもしれない。しかし、彼は屈しなかった、彼の原点に立ち返り、新聞刊行という港に待避した。

私はというと、頭のてっぺんからつま先まで政治に浸かった中東工科大出身者として、新聞記者になること、起こったことを間近に知ること、知らせることを望んでいた。私のこのような願いを、叔母の今は亡きミュベッラー・イェトキンと、彼女の紹介でこれも今は亡きマフムート・タリ・オンギョレンに打ち明けた。叔母は、1960年5月27日クーデタとその後の展開を、国営放送局の若いアナウンサーとして、たまたますべて宿直の日の夜に経験した人物だった。オンギョレンは、『探求』誌の執筆メンバーだった。1981年のある憂鬱な日、オンギョレンは私をレシト・ガリプ大通りにある2階建ての住宅へ連れて行った。雑誌の事務所がそこだったのだ。私に編集長ナーヒト・ドゥル氏を紹介してくれた。彼は、この語学に堪能で翻訳と情報収集の業務に役立ちそうな青年(つまり私)を情報局長バーキー・オズイルハンに引き合わせる前に、ただ紹介するということで上の階のエジェヴィトの部屋へ行かせたのだった。

私がある時は賞賛し、ある時は怒りの対象としていたエジェヴィトがいま私の前にいた。そして彼は私の目には神話のなかの英雄にみえた。9月12日(クーデタ)のあと彼が示した不動の姿勢によって、彼は私にとっての英雄像を十二分に証明したのだ。軍事法廷への往き来のなかで新たな訴追の原因になりそうな話をする際にも、彼の信ずる思想が何であれそれを表明するときにも、彼はそれがもたらす結果を覚悟していた。裁判所を出たところでの「人々が圧政に屈し沈黙してしまったならば、今日、地球が平面であると我々は信じていることになっただろう。」という類の彼の話は、私の頭に銛のように突き刺さるものだった。

神話の中の英雄や、太古から知られる物語の中の英雄のように、年齢、地位、性別に関係なくあらゆる人々を平等に扱う、それも高いレヴェルで平等に扱う彼の礼節は、聴衆の側にも品位と敬意ある態度を要求し、またそれを習慣とさせたのだった。彼を愛することは可能だったし、彼もみんなを愛していた。しかし彼があなた方を抱擁したり、あなた方が彼に抱きついてキスしたりすることは考えられないことだった。

彼はいつも少し前にいて、少し外にいて、少し高いところにいて、しかしいつも敬意にあふれた指導者というタイプだった。

9月12日クーデタのあと政界に戻ったとき、クルッカレで250キロ用のトラクタースケール(計量機)の上でわずかな町民に選挙スピーチを行ったときも、PKKのリーダーであるアブドゥッラー・オジャラン拘束を発表したときも、ソラナ(CFSP上級代表)とフェアホイゲン(拡大担当欧州委員)をトルコにつれてきた後、ヘルシンキでの家族写真をとったときも、いつも同じ信念で同じく高いところにいた。

この少し前、民主左派党党首ゼキ・セゼル氏とその一行とで黒海を視察したとき、改めて私は気がついた。たとえばセゼル党首は、スレイマン・デミレルのような人の懐に自らはいっていける、頭が良くてかっこいい近所の兄貴だった。しかしエジェヴィトは、彼を慕う人たちが触れることを躊躇するような、もしかすると遠慮してしまうような、そんな神話の英雄のままだった。

EU-トルコ関係において重要な転換点となった2005年10月3日の会議について詳細な情報を誰がビュレント・エジェヴィトに与えたと思われるだろうか?首相府、または外務省が任命した大使だろうか?政府の高官だろうか?いやちがうのだ。現在の在フランス英国大使、元の在トルコ英国大使だったピーター・ウェストマコットだ。理由?その答えは世界経済を先導する英国紙ファイナンシャル・タイムズが昨日(6日)、エジェヴィトの逝去のために掲載した論説の冒頭部分に見ることができる。世界政治を読む能力のあるすべての個人、組織、国家は、エジェヴィトが、ちょうどフィナンシャル・タイムズが述べたように「トルコ政界における小人たちの中で数少ない巨人のひとり」であることを知っていた。

あなたがたはエジェヴィトに賛成しなくてもよかったのだ。しかし彼を無視してはいけなかったのだ。このことを英国政府は、トルコ政府よりもよく知っていた。

エジェヴィトのように、トルコの未来に足跡を残す何人の政治家がいるだろうか。エジェヴィトはトルコ社会の大黒柱のひとりだった。


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( 翻訳者:栗林尚美 )
( 記事ID:3858 )