Taha Akyolコラム:空港でラクダ解体!―トルコ社会における「文化遅滞」―
2006年12月16日付 Milliyet 紙

空港の駐機場でラクダを解体させた人もそれほど「物知らず」だとかいうわけではない。航空機に関わるのは高度な技術者だ。イギリス、アメリカ、フランス、スイスの航空会社においては、「技術部局長」「技術部門代表」あるいは「技術計画責任者」といった高度で専門性が求められる業務に携わるという。

その職員パスを誰が見ても、彼は「機体整備部門のトップ」だと見なされよう。しかし、この知識と経験を備えたシュクリュ・ジャンは、駐機場でラクダを解体させ、我々が今だこの世で見たことがなかったある「コト」をやってしまった。この「コト」は世界中でニュースとなり、トルコのイメージを血で汚すこととなった。

独誌『シュピーゲル』は、解体されたラクダの光景をウェブサイトに掲載したが、複数の閲覧者から残酷だとの――「こりゃ、なんとおぞましいことを」といった――指摘を受けた。

ある「コト」――その名を「ムラ社会意識(に裏打ちされた行為)」という。

■文化遅滞

もし、あるアーが内孫ができた祝いとして畑でラクダを解体させた、という話だったら、我々はこれほどの拒絶反応を示すだろうか?誰ひとりとしてそんなことはないだろう。問題なのは、畑で犠牲獣を解体するかのごとく、イスタンブル――その国際空港の駐機場でラクダが解体されたことだ!更に、その理由が「技術的成功」を祝うため、であったことだ!

いわゆる「物質文化」――カネや技術、更には情報や資格免許を、我々は苦もなく取り入れて身につける・・・。しかし、現代生活に必要不可欠な「精神文化」――良識、美的センス、社会的作法の様々な型(かた)は、「物質文化」と同じスピードで身に付くものではない。カネや地位、あるいは仕事に必要とされる物質的・技術的知識は身につけても、諸々の価値観、認識、そして習慣はムラ社会そのままだ。

これは、世界的にはウィリアム・オグバーンやソローキン、わが国においてはミュムタズ・トゥルハンやオルハン・チュルクドアンといった社会学者が研究した「文化遅滞」の事例だ・・・。

サカリヤ大学のオスマン・オズクル助教授(社会学)が示したように、トルコでの「交通事故」の根本的要因のひとつが物質的基盤の欠如であるとすれば、いまひとつのより重大な要因は、この文化遅滞である。我々は都市の交通規則を「知識」として分かってはいても、「感覚や行動の面では」ムラ社会そのままの対応をあらゆる次元で続けている。事故原因のうち一番多いのは「交通規則違反」と「ドライバーの過失」である!サッカーの勝利を祝うべく空に向けて発砲するとはいったい何事か?!

■「階級を飛び越える」トルコ社会の現代化

駐機場でラクダを解体させるのはおぞましい事件だ。先週土曜に国際的な成功として「スター・アライアンス」に加盟したトルコ航空[12月9日(土)加盟承認、12ヶ月~16ヶ月以内での正式加盟に向けた交渉開始とのこと:訳者]、そしてトルコそのもののイメージを著しく害した。ある面では例外的事件であり、一般論として語ることはできない。空前絶後の事件なのだ。

しかし、いま一方の面では我々が抱える深刻な文化的問題の最たる例だろう。文化遅滞という・・・。

トルコの社会は、急速に都市化し、地方の子供たちがある者は学問に励み、ある者はビジネスに携わることで「階級を飛び越えてきた」ダイナミックで活力にあふれた創造的な社会である。本当の現代化とは、そもそも、エリートの西洋志向ではなく、人々が上を目指して這い上がっていくことだ。この喝采されるであろう「物質的」成功を讃えるメダルの裏側には、「文化遅滞」という我々の抱えた問題が刻まれている!我々の大多数は、ついこの間か、はるか昔かの程度の差はあれ、自分の中に刻まれた地方にいた頃や村の一員であった頃の痕跡を、様々な形で目にすることができる。

「階級を飛び越える」社会的・民主的なダイナミズムはこのままで・・・。ただ、「文化遅滞」の問題、つまり国民的イメージに「ムラ社会」という烙印が押される危険、にはご注意あれ!

ビナリ・ユルドゥルム運輸相が、ラクダ事件について弁明などをせずに責任者を更迭し、調査に乗り出したことはとても見事な対応だった。

誰しも、自分がいる場所での当たり前のやり取りにふさわしくあらねばならない。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:4142 )