Ertugrul Ozkok コラム:エルドアンが大統領になったら、ならなかったら(Hurriyet紙)
2006年12月20日付 Hurriyet 紙

私の目の前にあるシナリオはこうだ。2007年5月17日午後4時35分... トルコ大国民議会は先刻投票を終えた。
ビュレント・アルンチ議長が結果を発表している。
レジェプ・タイイプ・エルドアン(現首相)が354票を獲得してトルコ共和国の第11代大統領となった。
皆が列をなして彼を祝福している。
議場には共和人民党の議員の姿はない。
彼らは棄権したのだ。
つまりエルドアンは公正発展党(AKP)議員の票だけで選ばれたのだ。

***

ここまでは普通の話だ。
この2年間議論してきた1つの話題が終結し、トルコの大統領が選ばれた。
さてこの後何が起こるのか。
5月17日の晩、アンカラでは奇妙なことが起こる。
たとえば参謀本部の明かりは朝まで灯されたままだ。
国内各地の軍の駐屯地から「行動に移る」という報告が届く
大統領府の警護隊では休暇が返上される。
議会の警護隊には奇妙な沈黙がある。
司令官たちが報告と指示を受け続けていると言われる。
報道機関の本部では会議に会議が重ねられる。
夜の見回りが再点検される。
面会の約束は全てキャンセルされる。
そして朝になって事態は急転する。

***

さてこれに名前を付けよう。
これはクーデターのシナリオだ。
トルコの一部の人々はこのクーデターのシナリオを信じられるほど我を忘れて怒っているかもしれない。
しかし、皆が承知しておかなければならないことは、トルコは5月18日の朝に決してこのような目覚めを迎えないということだ。
タイイプ・エルドアン首相は、彼が(出馬を)決心した場合には、議会で望むだけの票を得てトルコの第11代大統領に選ばれる。
このことに法的な観点からも、政治倫理の点からも何ら障害はないはずだ。
逆にもしこの国が民主的は法治国家であるならば、エルドアンが大統領に選ばれることは不可能だったと主張することは法に反している。
いずれにせよ、国民が国会議員を選んでいる以上、議会が大統領を選ぶ権利もあるのだ。

ではこれに対して野党は何ができるのか?
故トゥルグト・オザル(元大統領)にしたことはといえば。
すなわちそれは「私はあなたを認めない」と言うことであり、大統領府での式典に参加しないことだ。
また野党の党員である自治体の首長が歓迎式典に行かないということだ。
あるいはこれらに似た行為だ。

さてクーデターは起こるか?
いや、起こらない。
起こるとしても、誰も支持しない。
クーデターの首謀者たちも短期間で姿を消す。

***

それではもう1つの問いに移ろう。
エルドアンが大統領になることはいいことだろうか、悪いことだろうか。
彼の政党(AKP)にとっていいか悪いかは分からない。
それにそのことを判断することが私の仕事でもない。
しかしトルコ(一国)という観点から見るとき、私はこの選挙で(エルドアンが)大統領にならないことがトルコにとってよりよい結果になるだろうと心から信じている。
なぜなら誰が何と言おうと、この4年間トルコ全体として見た場合安定した時代となったからだ。
経済では安定した成長が達成された。外交では真に前向きの歩みが踏み出された。
トルコは単に自らの地域だけでなく、世界で注目を集める国になったのだ。
今、それ次ぐ時代において、これを確固たるものにし、強固なものにすることが必要である。
このような時代にトルコにはエルドアンの持つ政治的リーダーシップの資質が必要なのだ。
一方で大統領府が常々議論の的となることも、皆のエネルギーを不必要に失わせることになるだろう。
これらの理由から、私の個人的見解はこうだ:エルドアンは少なくとももう一期、(AKP)党首の座に残るべきだ。

***

あるいは(エルドアンが)党首を辞して大統領に転身するなら...
心配は無用だ。何も問題はない。
それでも人生は続いていく。
それを望まない人々はといえば...
彼らにもオザルの出した答えがある:慣れますよ、慣れますよ...
結局我々は慣れてしまったではないか...

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:4179 )