Haluk Şahin コラム:新たな「チュルク」たちへの忠告
2006年12月29日付 Radikal 紙

単なる偶然だろうか?でなければ、私には判り得ないなにか深い理由があるのだろうか?二人の有名な外国人がトルコ国籍を取得し、同じ名前を申請している。

(その名は)アタカン(*)!

そのうちの一人は、フランス人歴史家のジャン-ミシェル・ティボーさん。フランス国会でのアルメニア人虐殺否定を罪とする法案に抗議すべくトルコ国籍を申請し、その申請が内務省に認可されたそうである。

アナトリア通信が伝えるところによれば、ティボーさんは今後アタカン・チュルクという名を使用していくらしい。

いま一人は、スィヴァススポルのイスラエル出身ストライカーであるピニ・バリリ選手である。ラディカル・スポーツ・サービス(Radikal Spor Servisi)の報道によれば、トルコに在住して丸5年経てば即座にトルコ国籍取得を申請する予定だと明らかにした同選手はこう語った。

「(みなさんは)私をトルコで今後『バリリ』とではなく、『アタカン』と呼ぶことになるでしょうし、(アタカンと)喝采することでしょう・・・私はトルコとトルコ人が大好きです。トルコのサッカー史に、私は『イスラエル系トルコ人サッカー選手』として刻まれるでしょう。」

こちらのアタカンさんが、チュルクという姓を取得するのか否か、我々にはわからない。しかしもしチュルクという姓を取得することになれば、チュルク姓の著名人が3人ということになる。民主市民党(Demokratik Toplum Partisi 略称DTP)のアフメト・チュルク党首、歴史家のアタカン・チュルクさん、サッカー選手のアタカン・チュルクさんである。

この問題は多面的だ。まず、次のような改名そのものの問題である。人々は、子供のころから使ってきた名前でトルコ国民にはなれないのだろうか?他国の国籍を取得したトルコ共和国国民に対して、改名が求められることはない。さらに、現代の国家が自国民の名前に干渉することさえ歓迎されるものではない。ブルガリアのファシストたちが、ブルガリアに住むトルコ人を改名させようと企てたとき、当然のこととして我々は強く抗議したのであった。

新しい「チュルク」の方々へ私から忠告その1。目下、チュルクという名や姓を持つことがこの国や世界においては色々な意味で難しいことだと気付くでありましょう!

忠告その2。収入や評価が期待していたよりはるかに低くなることがありうるでしょう。その実例について、ちょうど21前に出版された『トルコ人たること易しからず』(Türk Olmak Kolay Değil)という題名の本で私は論じたことがあるが、それから随分年月が経ったことを踏まえると、繰り返しても差し支えないと思われる。

アタテュルク時代のトルコがナチス・ドイツを逃れたユダヤ系科学者にその手を差し伸べたことはご承知のとおりである。トルコの大学制度の様々な基礎には彼らの尽力や業績がある。こういった科学者のうちのある人は、アンカラに居を構え、トルコとトルコ人をとても愛し、研究環境にも満足した。彼の満足のほどは、トルコ国籍取得を決めるほどであった。(国籍取得後初の)月初めに給与を受け取りに行って、果たして彼が見たものとは何であったか。受け取る給与額ははトルコ人教授職と同額へと、つまり以前の五分の一に引き下げられていたのである!

哀れな博士はひどく驚いた。当時のアンカラは狭い街だった。すぐさま彼はハサン・アリ・ユジェル国民教育相の自宅へと向かい、その玄関のドアをノックした。ユジェルが寝ぼけまなこでドアを開けると、ドイツ出身の博士は思いの丈をぶちまけ始めた。

「こんな薄給で、私はどうやって家賃を払い、どうやってお手伝いさんを雇い、どうやって本を買い、どうやって研究をし、どうやって旅行をし、どうやって子供を学校へやればいいのか・・・」

聡明な人物であったユジェルは苦々しく微笑んだそうな。

「えぇ、ドイツの教授先生、貴方はトルコ人であることが簡単だとお思いでしたか!」


*:アタカンAtakan 「父なる血」の意。またチュルクは「トルコ人」の意。ゆえに本コラムで話題となっている名前アタカン・チュルクは「父なる血 トルコ人」といった意の姓名(厳密には名姓の順)であることになる。


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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:4254 )