Taha Akyolコラム:キリスト教会員クラブとしての欧州連合(Milliyet紙)
2006年12月04日付 Milliyet 紙

ドイツの新旧の首相、シュレーダーとメルケルの間の政策の相違はとても多くのことを物語っている。

社会民主党(SPD)のシュレーダーは、トルコの加盟したヨーロッパが内部的にはより多元性や創造性の源となり、対外的には戦略的ビジョンや実行力を確立するであろうことを認識していた。彼にはエルドアン首相をはじめとして、トルコに多くの友人がいる。トルコ人も彼を好ましいと思っている。

一方キリスト教民主同盟(CDU)のメルケルはといえば、文化的な多元性よりも「同質であること」に重きを置いている。トルコを蚊帳の外に置いた「特権的パートナー」としたがる理由のひとつはこれである。国内でも移民労働者を、そうするだけの正当な権利を持っているとして「融和」しようとしているが、私が恐れているのは、彼女がこの概念を「同化」のように位置づけていることだ。メルケルにも勿論トルコに友人はいるが、シュレーダーほど多くはない。

ヨーロッパ全体では、各国キリスト教民主党の「キリスト教クラブ」のメンタリティが大きな影響力がある…。そしてトルコの加盟を理性的に見つめるのは、たいていシュレーダーのような社会民主主義政党の人間なのである。トニー・ブレア(英)、サパテロ(西)、プローディ(伊)というような…。

■合意は拘束する

ドイツのデル・シュピーゲル誌によれば、メルケルには新しい構想があるようだ。それは、(トルコの)港を(南)キプロスに対して開放したとしてさえも、(加盟条件が満たされたとはせずに)トルコとの交渉は現在停止している地点から再開するよう、全加盟国が一致して(この件を)決定しようとするものだそうだ!

まず、これは実現しないだろう。というのも、このような決定を採択するためには加盟国間の連帯が必要であるが、イギリス、スペイン、イタリアといった宗教にあまり固執せず、トルコ加盟の見通しを持っている国々はこれを受け入れないからである。

次に、メルケル首相はトルコや同国に暮らすトルコ人、トルコ系ドイツ人の感情を害することの他には何もしていないということが言える。

メルケル氏はフランクフルトでカナル・Dが開催したイベントに極めて熱心かつ心がこもった様子で参加し、素晴らしいスピーチを行った。その概要は次の通りであった。

「私ならびにわが党はトルコにとって『特権的パートナーシップ』がより合理的かつ有益と考えています。しかし、ドイツ政府はお約束していることがあります。それは我々にとって「合意は拘束する」が基本的方針だということです。」

正直で、率直、原則に忠実な一政治家の言葉がこれである。
さて、デル・シュピーゲル誌が書いた!?「合意は拘束する、というドイツの原則」とはこういったことなのか!?

■クリスチャン・ヨーロッパ

フランクフルトでの公開セッションで、私もメルケル氏にひとつ質問をしてみた。

「トルコの完全加盟プロセスを支持してくださいよ。いずれにせよ最終的には国民投票かそれに近いものは必要になるでしょうが、あなたがその時特権的パートナーシップの条件を提示したとしたら、それはより合理的で友好的ではないですか?」

具体的な返答は得られなかった。
さて、メルケル氏は最終段階で「特権的パートナーシップ」と言えばいいのにと思うが、今日のトルコに関し加盟への流れを断ち切ろうと努めているというのが、個人的に私がメルケルに抱いた、評価し合意することは到底できない「合意は拘束する」(という言葉)と信用を喪失させる態度に現れている。思うに、デル・シュピーゲル誌の記事は誤解に基づいている。

市場経済を信奉するメルケルは、「内側に閉じる」という感覚がフランス人をどのように行き詰まりへと引きずっていったかを理解しなくてはならない。

トルコは「加盟交渉中の国」でいることの利点を知っている。怯まずに、交渉テーブルから離れないことだ。

交渉プロセスが押止められることは、もちろん我々には損失となるだろう。しかし、このことがヨーロッパにもたらすであろう倫理的損失もそれ以上である!民主主義では彼女は神学上の「天界の主」たり得ない。為政者は常に変わるのだ。

今となっては、我々が根本的に動いてきたことをずっと「押止める」ことは不可能なのである!



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( 翻訳者:及川治香 )
( 記事ID:4053 )