Özdemir İnceコラム:「kamu」*が表す意味とは何か(Hurriyet紙)
2006年03月18日付 Hurriyet 紙

*(注:Redhouse土英辞典によると、「kamu」は「public」「the public」を意味する。リーダーズ英和辞典によると、「public」は「公共の、人民の」を、「the public」は「人民、国民、公衆」を意味する。)

科学が到達したレベルに対し敗北を喫しているイスラーム主義者のイデオロギーは、何をすればいいのか分からず途方に暮れた状態にある。(イスラーム主義的イデオロギーは)国民教育省の呼び方によれば進化の法則となった進化論を否定し、創造のドグマ(宗教的教義)を創造の法則として主張している。さらにこれにも満足せず、アメリカの狂信的プロテスタント教団の後を追って「インテリジェント・デザイン(知的設計論)」という妄言に逃げこんでいる。

(イスラーム主義的イデオロギーは)ダーウィンが提唱し次第に科学的法則の特質を獲得した進化論とDNAとの関係を頑として認めようとしない。DNAのおかげで進化論が「法則」の地位を獲得したことの証明や、分子科学の成功に対して、「コーランにも(世界や人間の起源を明らかにする)役割がある」という都合のよい主張を行っている。科学的な態度を身につけ近代化しようとして失敗したすべてのもの、すなわち政治、経済、歴史、科学、他の宗教を、宗教化(イスラーム化)している。

■目的は“薄める”こと
(イスラーム主義的イデオロギーは)同じことを、普遍的な法と学問の概念においても行っている。イスラーム化できないならば、普遍的な定義という料理にすぐに水を加えて味を薄めようとする。誰か一人が詭弁を弄すると、他の人たちはがけに飛び込む羊のようにすぐさまそれに追従するのだ。
こうした人々の一人によれば、「kamu」とは「halk(国民)」という意味であり、「devlet(国家)」を意味しないらしい。自らの考えに基づいて、国家を「kamu」の概念の外に追いやった後に、「kamuの領域」を勝手に制限したり拡張したりしているのである。
また別の一人は、「kamu(的)」という概念がはっきりしなく(あいまいに)なってしまったと主張し、専制政治がこの状況を利用したと言っている。

お望みであれば、ここで、いくつかの言葉で少し言葉遊びをしてみよう。私はこの言葉遊びをフランス語で行う。皆さんはよろしければ知っている別の言語で行っていただきたい。
はじめに次の一節を一緒に読んでみよう。「kamuという言葉は、halkを意味する。『kamu』という言葉を『devlet』の代わりに使う人々は、この用語法の背後に『高貴な』存在を置き、その後ろに隠れながら自らを特権的な集団にしようとしている。これは、民主的な社会が許可しないであろう解釈である」(ムンタゼル・チュルクオネ氏,Zaman紙)。
この文章の著者に、私と同じことを行い、知っている外国語の言葉に置き換えてみることを勧めようと思う。

■Publicus=Le public=L’Etat=Devlet=国家
問題を解決するために、ラテン語のPublicusという言葉を検討してみよう。すべての問題はこの言葉に端を発している。この言葉はフランス語では、形容詞(public, publique)と名詞(le public)として使われている。

タフシン・サラチ氏の仏土辞典には、形容詞として使われるときには、「国民に関する、kamuに関する。kamuの」と「国家に属する、国家に関する」の両方を意味すると記されている。名詞として使われるときには、同辞書によれば「kamu、国民」を意味する。一方で「La chose publique」という使われ方では、「国家」を意味すると書かれている。
しかし、興味がてらプチ・ロベールの辞書を引いてみると、「le public」という言葉に対して「L’Etat(国家)」という言葉が当てられているのが分かる。フランス語では「国家」を意味する「L’Etat」という言葉は大文字の「E」で書かれるのだ。

■言い逃れるなかれ
「kamuの領域」は、陸、海、空の「国家の領域」である。このことを言い逃れしないで頂きたい。また人々の家や寝室はkamuの領域では断じてない。すべての民主的国家はこれを知っている。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:2091 )