南東部のデモ、前線に立つのは農村部から出てきた子ども(Radikal紙)
2006年04月01日付 Radikal 紙

ディヤルバクルとバトゥマンの暴動で死亡した7人のうち3人が子供だった。衝突の先頭には、石、火炎瓶を投げ、ナイフをかざす子供たちがいた。学校での傷害事件として問題になっている「子供と暴力」は、今回は異なる形で現れた。ディヤルバクルの市民団体の代表者は、彼らの多くが、村から移住してきた家族の子供だと述べる。彼らは町の外れで生活している。多くの子供が学校の放課後、家ではなく通りへ働きに行く。東部におけるきわめて多くの問題は、若年齢時の対応に起因しているが、そのことについて誰も十分に関心を払っていない。

ディヤルバクル県の2004年の調査では、都市部において子供が犯罪に関わり、暴力を振るう理由がきわめて根深いことを示している。移住者の多い県のうち、ディヤルバクル県で犯罪に関わった人間は、この15年でほとんどが村落部からの移住者だった。2004年に強盗とすり事件に関った141人の子供のうち80%がディヤルバクル県の村落部か周辺の県からの移住者出身だった。この子供たちは平均6人兄弟だ。同年ディヤルバクルでは犯罪に関った1914人の子供が逮捕された。これらの子供たちの43%が家庭内で暴力を受けていた。犯罪を起こした子供たちの父親の31%、母親の89%は読み書きを知らない。

2005年には、学校で70件の刃物を使った傷害事件、17件の教師への暴力、14件の暴力事件、7件の武器による傷害事件、6件の強盗事件が起きた。2001年には、169人の子供が対物で犯罪を起こし、2005年には、この数は608人に増加した。2001年には、591人の子供が対人で犯罪を起こし、2005年には、この数は726人だった。2003−2005年には、425人の子供が281件の刃物による傷害事件を起こし、518人の子供が349件の窃盗事件を起こした。352人の子供が241件の強盗事件、142人が102件の暴力事件を起こした。2004年には1914人、2005年には2086人の子供が逮捕された。2004年には163人、2005年には178人の子供が収監された。

■困難の中で生まれた子供たち

ディヤルバクル社会サービス・児童保護協会の関係者は、都市部の通りで暮らしているのではないが、通りで働く多くの子供がいると述べ、「多くは移住してきた家族の出身で、日ごとに家族との関係は薄まっています。」と警鐘を鳴らしている。

ディヤルバクル弁護士会のセズギン・タンルクル会長は、暴動の先頭にいた子供が極めて厳しい状況のもとに生まれたと述べている。「90年代はじめに生まれた他とは極めて異なった世代です。無知と貧困、戦争の中で育ちました。暴動では12歳、それよりさらに下の多くの子供たちがいました。多くは学校に行かず、通りで過ごしています。推定では3000人の子供が通りで働いています。政府、地方当局、市民団体による共同の取り組みはありません。」

教員組合ディヤルバクル支部長イフサン・ババオール氏は、これらの子供たちをより身近に知っている。「移住してきた家族の子供たちには過度に暴力的な傾向があります。多くが町外れに住んでいます。移住家族が経験してきた遊牧民的行動様式と政府に対する不信感が、この子供たちの反発、暴力的な傾向の温床となっています。貧困と精神的な拠り所の乏しさが子供たちの中で1つになっています。子供たちの皆がナイフを持っています。ほとんどは学校に通っていますが、学校が終わると街頭へ働きに行きます。暴動の間、市民組織と県当局は子供たちを保護するために呼びかけを行いましたが、家族がいませんでした。このような子供たちに対して狙いがつけられ、発砲が行われたというのは1つの事実なのです。」

■略奪を行った子供たち

迫害協会のディヤルバクル支部長のメスト・ユルドゥルム氏は、ディヤルバクル県で3千以上の村々が放棄されてきたと指摘し、以下のように続けた。
「都市に移動し、都市と不調和を起こす人々がいます。彼らは暴力よってその存在を示します。

麻薬を吸い、強盗を行う子供がいます。暴動ではこの子供たちによって略奪が行われました。しかし、この子供たちの行動は何年にも渡り都市に積み重なった政治的、社会的、経済的な蓄積の結果なのです。これがある部分で社会的な暴発の原因となっています。子供たちは利用されています。今回の行動を組織した人々は、子供たちを暴動から遠ざけることができたはずでした。しかし、彼らはそうしなかったのです。政府、地方当局、民主市民党そして市民団体は、問題を解決しなければなりません。」

■「南東部問題の中で成長した子供たち」

人権委員会ディヤルバクル支部書記のアリ・アクンジュ氏は、子供たちを衝突の起きた場所から遠ざけるために何度も呼びかけを行ったと述べる。「子供たちが暴動の中にいたということについては全く容認できることではありません。しかし、その原因を認識する必要はあります。その原因とはクルド問題です。子供たちはこの問題の中で成長しました。」

■各方面での反応

共和人民党(CHP):共和人民党の国会議員のヤークプ・ケペネッキ氏とギョクハン・ドゥルグン氏が出した質疑では、ディヤルバクルでの日常生活はいつ正常な状態に戻るのかという質問が行われた。

正道党(DYP):正道党執行部は、「テロとの戦いのため早急に必要かつ効果的な措置を取ること」を政府に要請した。

祖国党(ANAP):祖国党のエルカン・ムムジュ代表は、騒乱に関連して「権威が失墜したとは思っていない。政府の権威は隅々に行き届いている。」と述べた。

トルコ革命労働組合連盟(DİSK):革命的労働者組合連盟執行部は、政府と議会に対して「ディヤルバクルで起きた騒乱は一時的なものではない。根本的かつ継続的な解決策を取ること」を勧告した。

エルズルムでは暴動を批判するデモ:エルズルムでは約2000人が手にトルコ国旗を持ち、金曜礼拝後に、南東部で起きた騒乱に対する抗議デモを行った。

オジャラン支持の女性らを釈放:一方で、ディヤルバクルで2月22日に、オジャラン受刑者の特赦を求め人間の鎖を作って交通を遮断した「ピース・マザー・イニシアチヴ」の女性メンバー24人が昨日釈放された。

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( 翻訳者:高田 利彦 )
( 記事ID:2147 )