18世紀の音楽家カンテミールの旧邸、EUが改修工事を実施へ(Milliyet紙)
2006年04月23日付 Milliyet 紙

欧州委員会トルコ代表団は、イスタンブルのバラットにあるディミトリエ・カンテミール邸と周辺の建物の改修工事の入札を発表した。

1673年から1723年までを生き、ボーダン(現在のモルドバとルーマニアの一部)知事も務めたディミトリエ・カンテミールは、同時に作曲家であり歴史家であった。入札により、カンテミール邸と周辺の72の建物や店の修復が実現することになる。入札は6月5日にアンカラの欧州委員会トルコ代表団の事務所にて行われる。

欧州地中海パートナーシップが2002年に始めた修復活動により、これまでに26の建物が修復された。700万ユーロの資金のうち、これまでに200万ユーロが投入された。次の段階の入札により、全予算が使われることになる。

屋敷の改修については1998年以来議論が続いていた。サーデッティン・タンタン(元内相)がイスタンブル市長だった時代にはイスタンブル工科大学によって修復を学ぶ学校として使用されることに決まっていた。しかしこの計画は実現しなかった。


*ディミトリエ・カンテミール:1673年ルーマニア生まれ。言語、文学、歴史の教育を受け、1688年から22年間イスタンブルに住む。スルタン・アフメト2世に才能を認められ、東洋文化や言語、音楽を学んだ。もっとも有名な著作はオスマン帝国に関する歴史書『オスマン帝国の勃興と衰退』で、ラテン語で記されている。また、オスマン古典音楽の作曲家としても知られ、アラビア文字を使用して独自の文字楽譜を考案した。語学の才能にも長け、ルーマニア語のほかにトルコ語、アラビア語、ラテン語など12ヶ国語を習得していたと言われる。オスマン帝国が勝利した露土戦争でロシア側についたため、その後はロシアで亡命生活を送り、1723年ウクライナのハリコフで死去した。
(訳者補足)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:湯澤 芙美 )
( 記事ID:2266 )