第一次世界大戦ゲリボル戦役から91周年 夜明けの戦闘開始時刻に合わせてセレモニー(Hurriyet紙)
2006年04月25日付 Hurriyet 紙

チャナッカレ陸上戦の91周年式典の第2日目、アンザック湾では、「夜明けのセレモニー」が行われた。


ゲリボル半島には昨夜遅くから、約10,000人のオーストラリアおよびニュージーランド出身の訪問者が足を運び始め、早朝、アンザック湾で行われたセレモニー会場に出席し、「夜明けのセレモニー」が始まった。セレモニーでスピーチを行ったオーストラリアのマイケル・ジェフリー総督は、91年前、夜明けの時間にオーストラリアとニュージーランド出身の兵士たちはこの入り江から上陸を始め、トルコ人兵士たちの側は国民を守るべく勇敢に戦ったと述べた。

ジェフリー総督は、兵士たちはムスタファ・ケマル率いる第57連隊と交戦し、上陸後まもなく大きな損害をこうむったことに触れた。ジェフリー総督は、現代トルコの建設者であり優秀な軍人であったムスタファ・ケマル・アタテュルクの指揮下、勇敢な兵士たちが戦闘を行ったと語り、上陸初日に2000人の兵士が命を落としたと述べた。

ジェフリー総督は、チャナッカレの戦闘に参加した者すべてが、それぞれ変わりなく困難な戦闘条件の下で戦ったと述べ、次第に兵士たちの間には敬意と友情が築かれたと語った。「この戦闘ののち、献身性と互いの敬意に基づく共通の歴史が残ったのです。」と述べた。

■ニュージーランドは男性労働人口の20%を損失

ニュージーランド側代表のマーガレット・ウィルソン国会議長は、チャナッカレの戦闘で、多くの国の若者が亡くなり、それぞれの国の社会を深い悲しみが覆ったと述べた。ニュージーランドの男性労働人口の20%がこの戦闘で命を落としたと述べ、「ちょうどトルコ社会でもそうであったように、我が国でも幾組かの家系は完全に絶えました。」と語った。

ウィルソン議長は、トルコの人々とニュージーランドの人々が100年前には全く互いを知らず、その最初の接触がチャナッカレだったと言えると述べ、「あの戦役で孤児となった子供たちの子孫が今日ここに集まっています。互いに敬意を払うということを、戦闘を通じて学びました。今日、トルコと我が国の間の親密な関係の基礎は、この半島で亡くなった人々によって築かれたのです。」と述べた。

オーストラリア海軍提督ラス・シャルダース中将は、各当事国のために貢献し、犠牲を払った全ての兵士たちを追悼するため人々は集まったと述べ、チャナッカレの戦闘の凄惨な状況、そしてその厳しい状況下、一人の軍人として戦った兵士たちの勇敢さについて人々は理解すべく努めたと語った。シャルダース中将は、「同胞が多く亡くなりました。しかし、この戦闘は我々に勇敢さへの敬意を教えてくれました。」と述べ、亡くなった兵士たちがそれぞれの国に多くの貢献を果たし、チャナッカレの戦闘が民族アイデンティティの誕生に極めて重要だったと述べた。

■アタテュルクのメッセージが朗読される

エルジャン・アスラン中尉は、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが送った、戦闘で命を落とした外国の兵士たちの母親たちへのメッセージを読みあげた。メッセージは英語に翻訳され、「あなたがたの息子たちは、すでに私たちの息子であるも同様です。」との一節に、アンザック湾に集まった人々は拍手を送った。セレモニーではトルコ、オーストラリア、ニュージーランドの国歌が流れ、各国の高官がアンザック湾に花輪を流した。トルコ国歌をオーストラリア人が歌い、ニュージーランド国歌をトルコ人が歌い、拍手が送られた。明け方のこのセレモニーは、2分間の敬礼と祈りののちに終了した。

以下略


Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:高田利彦 )
( 記事ID:2297 )