Taha Akyol コラム「司法と国民の意思」(Milliyet紙)
2006年04月08日付 Milliyet 紙

トルコの根深い問題の1つに、「(制度化されている)組織や機関」と、国民の意思を反映した「選挙で選ばれた人たち」の間における権限の闘争がある。この問題は、解決されておらず、大きなエネルギー消耗の原因となっている。
1950年代から、我々は未だにこの問題を解決できないままだ!

我が国において、軍、司法そして「上位にある」集団からなる「中枢」は、はるかオスマン朝の昔から、大衆を「周辺部」に留めおこうとしてきた。社会のダイナミズムにブレーキをかけるこれらの権威は、オスマン朝において「世界秩序」と呼ばれた固定的な状態を、共和国においても「革命」を保持する根拠として利用している。

これに対して、1950年代の「(権威主義体制は)もう充分だ。国民の声を聞け」というスローガンは、「周辺部」に押し込まれていた大衆の反発を示している。

経済発展、中間階級の成長、そして民主主義は、「中枢」優位の伝統をかなりの程度崩してきたが、いくつかの分野では今も古い伝統が続いている。司法と政治の間の闘争のように・・・

■司法が民営化の是非を判断することなどできない

世界的な常識では、司法は「適正性」の審査をすることはできない。すなわち、ある法律あるいは行政の判断について、それが有効なのか、必要なのか、適切なのかと審判を下してはならない。単に「法律に適しているのか」という審判ができるだけである。

しかし、我が国における「中枢」機関としての司法は、「適正性」の審査を行って、議会および政府が持つ権限に対する「侵犯」と受け取れる決定を下している可能性がある。そのような事態を防ぐために、憲法では(議会と政府に)権限を与えているにも関らずである。

民営化拒否の判決と、特定の法律に根拠を持たないターバン着用禁止判決などはその典型である。不正などの(明らかな)法律違反の他には、司法は、民営化の必要性、有効性に審判を下すことはできない。民主主義においては、右派は行政の民営化を、左派は国有化を、『公共の利益』としてそれぞれ主張する。これに対して司法が審判を下すことは、民主主義が、その観点で制限されることになる。そして残念なことに、我が国の司法はその間違いを犯しているのだ!(1)

最近の例では、国家資本主義の傾向を極めて強く持つ行政裁判所が出したTÜPRAŞ(テュプラシュ/トルコ製油所株式会社)民営化差し止め判決がある。行政裁判所は、権限を逸脱して「適正性」の是非を審判し、「必要な投資が民営化後に行われる保証がない」という市場経済に完全に逆行する判断によって民営化を差し止めたのである。(2)

TÜPRAŞのため40億ドルあまりを投じた企業が、収益、利益を上げるために要する新しい投資を行わず、40億ドルを浪費するなどと考えることができるだろうか?

オズブドゥン教授が言及したように、この問題は、司法の権限と機能の埒外にあるものである。

■国民の意思を無視する司法

司法による「適正性」の是非の判断は、「選挙で選ばれた人たち」の権限を制限する傾向のその非常に典型的な例であると私は指摘したい。1990年3月、議会はある法律を提出した。法律の意図は、行政裁判所によって「適正性」の是非を審判させないことにあった。憲法裁判所は、「憲法は、立法府にそのような権限は与えていない。」と述べて法律を否定したのだった!

しかしながら、憲法が明らかに禁じているのでなければ、議会はあらゆる分野において法律を定めることができるのだ!憲法裁判所のこの決定は、「(国民の)選択による」立法とその実施に、司法が結束して反抗したように見える。

憲法学のケマル・ギョズレル教授はこう述べている。
「憲法裁判所のこの決定は完全に間違っている。『憲法は、立法府にそのような権限を与えていない。』という発言は、立法権の根本部分と一般的権限について憲法裁判所が何も知らないということをを見事に示している。」(3)

立法権に対するこれほどまでの制限、そして、憲法裁判所に出席するメンバーを議会が選ぶことに(憲法裁判所が)反対するといった異常事態は我が国にしか見られない!その根本は、はるか昔の「世界秩序」までさかのぼる「中枢」上位の考え方にある。

我が国の司法が、西洋の民主主義における立法とその実施というものを消化するまで、残念ながらこのような衝突は続くように思われる・・・

参考文献
(1) Prof. Ergun Özbudun, “Anayasa Mahkemesi ve Ekonomik Politika”, Fazıl Sağlam’a Armağan, sf. 320-332
(2) İdari Dava Daireleri Kurulu, 2005/864.
(3) Prof. Kemal Gözler, Türk Anayasa Hukuku, sf. 636

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:高田利彦 )
( 記事ID:2167 )