行政裁判所銃撃事件の犯人アルパッサン・アスランの横顔(Milliyet紙)
2006年05月20日付 Milliyet 紙

犯人と家族ぐるみの付き合いをしていた退職教員オメル・アクタシュは、凶悪犯アスランのことを『彼は賢くて、問題のない子供だった』と言っている。アスランは、小学生の時に父親の自動車をこっそり使い電柱にぶつけたという。

行政裁判所第2部局で裁判官一人を殺し、四人を負傷させたアルパッサン・アスラン弁護士は、「(彼は)私の腕の中で育ったようなものだ」と言う、犯人と家族ぐるみの付き合いがあった退職教員のオメル・アクタシュが説明するところによると、賢く、友達と分け合うことが好きで、問題のない子供だったという。小学生の時、彼の父親が買ったばかりの自動車のスペアキーが家に置いてあったのを使ってドライブに出かけたアルパッサンの最初の事件は、テープレコーダーにカセットを入れるためにかがんだところ背が低いために道路が見えず、電柱にぶつかり起こした事故だった。

■家族は家に閉じこもった
アスランの家族はエラズー市の東ベヤズト区で生活している。血なまぐさい襲撃に対しアンカラで抗議行動が行われていた間、アスランの家族が暮らす第18通りはかなり静かだった。初等教育教官の父親イドリス・アスランが、息子の今後を見届けるためにアンカラへ行った後、他の家族は家に閉じこもった。
母親の本名はポルソだが、みんな彼女をハティジェと呼んでいる。アスランの母親と妹たちヒラル、アイシェ、エリフヌルはただ鎮静剤を打つためだけに家から出た。我々がドアのベルを鳴らした時、妹たちは「とてもいい人だった。ヒズブッラーとの関係などなかった。」とだけ答えた。
母親のハティジェ・アスランは襲撃の少し前に、彼女が送ったはちみつや油などの食べ物が入った小包を受け取ったかどうか知るために息子と話した。

■夢遊病者のようだった
しかし質問にはっきりした返事をもらえなかった母親は、襲撃の後に「お見舞い」に来た近所の人たちに、「私が最後に話した時、あの子は夢遊病者のようだった、いつものあの子ではなかった。彼はきちんとしゃべれていなかった。『何があったの?』と聞けばよかった」と苦しい胸の内を語った。
妹たちは、「私たちの記憶が消え去って、あの日を思い出さなければいいのに、目が覚めてこのことが皆悪い夢として残ればいいのに」と涙をこぼした。

■妹はスカーフを被っていない
元教員が説明するところによれば、家族にイスタンブルからよく服や靴などのおみやげを送っていたアスランは、妹たちには干渉していない。一番下の妹エリフヌル(16)は頭を覆っていない。
近しい人は、「私たちはみんな『まるで誰かがアルパッサンの仮面の下でこの殺人を行ったみたいだ』と言っている。つまり誰かが美容整形手術で彼の顔になり、この襲撃を実現させたんだ」と言っている。

■いるのかいないのかわからなかった
アスランが高校1,2年をウスキュダルで学んだ後卒業した高校がある、エラズー市から60km離れたところにあるコバンジュラル郡でも話題は同じだった。学校の友達はアスランを、「理科部にいた。あまりにも無口だったので、いるのかいないのかわからなかったくらいだった。」と述べた。



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( 翻訳者:日南田桃子 )
( 記事ID:2474 )