シェムディンリのウムト書店爆破事件に禁固39年の判決(Milliyet紙)
2006年06月20日付 Milliyet 紙

裁判所は、拘束中の被告人である下士官アリ・カヤとオズジャン・イルデニズに対し「計画的殺人と傷害の罪」で禁固39年の判決を下した。自白したヴェイセル・アテシに関する公判は別にされた。

ハッキャーリ県シェムディンリ郡で2005年11月9日に、旧PKK(クルド労働者党)党員で服役中のセフェリ・ユルマズが所有していた「ウムト書店」が爆発された事件に関して開かれた「シェムディンリ裁判」において歴史的な判決が下された。
ヴァン県第3重刑裁判所は、裁判期間としては記録的短期間で決定を下し、4回の審議の末に拘束中の下士官アリ・カヤとオズジャン・イルデニズに対して禁固39年の判決を出した。裁判所は、作成した起訴状が問題になり罷免されたフェルハット・サルカヤ検察官の「国家の団結を崩そうとする組織的行動が起こされた」という考えには、1人の委員を除いて同意しなかった。判決においては下士官らが、「計画的殺人と傷害の罪で現行犯逮捕されたこと」が判断材料として取り入れられた。
ヴァン県第3重刑裁判所で昨日14時30分に始まり4時間半続いた審議に、気分が優れないとの理由でアンカラのGATA(ギュルハーネ軍事病院)に送られたアリ・カヤは出席しなかった。その他の被告人イルデニズとPKK党員で自白したヴェイセル・アテシが出席した審議には、ユルマズと事件で亡くなったメフメト・ザヒル・コルクマズの親族らも参加した。

■裁判長を退場させろ
被告人弁護士の一人メフメト・ギュレルは、前回の審議の後メディアで「裁判長が任命された。裁判は6月19日に判決が下される」という報道がなされたことを挙げ、裁判長イルハン・カヤを本訴訟から外すことを要求したが、この要求は却下された。
仲裁弁護人の一人ディヤルバクル県弁護士会長セズギン・タンルクルは、アリ・カヤをGATAへ送ったことは判決を妨害する目的によるものであると指摘し、「カヤが法廷にいないことは判決の障害にはならない。必要な証拠は揃えられたし、被告人は弁護を行った。私たちは裁判所が判決を下すのを待っている」と述べた。裁判長が被告らに最後に何か発言するよう求めると、イルデニズは「高名なる司法に対し無罪と釈放を望みます。あなた方が無罪であるのと同様に私も無罪です」と話した。アテシは、発言を弁護士が行うよう求めて釈放を要求した。
カヤとイルデニズについての判決を明らかにした裁判所は、作成した起訴状の問題で罷免されたサルカヤ検察官が、被告らの「国家の団結と国の全体性を崩す目的で行動を起こし、殺人と殺人未遂、本件を実行する目的で協同した」罪は重いとして無期懲役を要求したことについては同意しなかった。
裁判所は、メティン・ディケチ検察官の12頁に渡る意見書において、トルコ刑法第220条にある「武装組織の構成員であること、意図的に殺人を行うこと、殺人未遂、傷害」の罪で下士官カヤとイルデニズに39年5ヶ月10日の禁固刑を言い渡した。

■殺人に25年
被告人らは「組織を結成したこと」により1年11ヶ月10日、ザヒル・コルクマズを殺害したことにより25年、セフェリ・ユルマズの殺人未遂で12年、そしてメティン・コルクマズを負傷させたことにより6ヶ月の刑罰を受けた。裁判所は、ヴェイセル・アテシに関する審議について、彼の弁護士が法廷を欠席していることを考慮して審議を8月3日に延期した。裁判官の一人シナン・シヴリが、被告らはサルカヤ検察官が作成した起訴状にあるようにトルコ刑法第302条の「国家の団結と国の全体性を崩した」ため刑罰を与えるよう要求したが、多数決により否決された。

■ユルマズ:司法はしかるべき場所に
判決を聞いて喜んだセフェリ・ユルマズは「司法はしかるべき場所にあった。武装組織はこの判決を教訓として欲しい。今後のプロセスにおいては組織が同様な行動を起こせないことを願う」と語った。
仲裁弁護人の一人ディヤルバクル県弁護士会長タンルクルは、原則に関する主張において、被告らが第302条に記されているようなある犯罪組織に入っていることを明らかにしたと指摘し、「この理由から、被告らが第302条に反しているとして、私たちは本判決の無効を要求して控訴する」と話した。
審議の行方を追っていたCHP(共和人民党)ハッキャーリ県選出国会議員のエサト・ジャナンは次のようにコメントした:「法治国家の原則はこれだ。その為、今後は職務を行う全ての公務員が法の下で職務を行い、そしてこの件にいっそう配慮することが重要だと考える」
被告人の弁護士マフムト・ギュレルは、裁判所が判決を下す際、何らかの影響が及んだことを示唆した。ギュレルは「おそらく裁判所はEUにメッセージを発信することを望んだのだろう。控訴の申請は最短期間で行うつもりだ」と述べた。

■シェムディンリで何が起こったのか
シェムディンリで2005年11月9日にセフェリ・ユルマズが所有していた本屋が爆撃され、爆発でメフメト・ザヒル・コルクマズが亡くなった。爆弾を投げたとされる一人が逃げ込んだ車は住民によって止められ、中にいた3人(PKK党員で自白したアテシ、下士官のカヤとイルデニズ)は激しい暴行を受けた後に警察に突き出された。同日、車を調査していた検察官とCHPハッキャーリ国会議員エサト・ジャナンも発砲を受け、この時アリ・ユルマズという名の一名が亡くなった。発砲したのは職業軍曹タンジュ・チャヴシュであったことが明らかとなった。
調査の間、下士官らが所有していたことが明らかとなった乗用車のトランクに、3丁のカレシニコフ銃、手榴弾、公式書類、ハッキャーリ県と郡の地図、そして名簿が見つかった。名簿には爆撃された本屋の項目に赤いペンで線が引かれていたことがわかった。
事件の翌日、アテシは本屋に爆弾を投下したとして逮捕されたが、下士官らは逮捕の必要がないと判断され解放された。

■サルカヤ検察官は反発を示した
ヴァン県検察官フェルハット・サルカヤは作成したシェムディンリの起訴状で陸軍司令官ヤシャル・ビュユクアヌト大将についても取り調べを行うことを望んだが、参謀総長ヒルミ・オズキョク大将は許可しなかった。参謀本部の反発によって法務省はサルカヤ検察官の取調べを始め、二人の調査官を任命した。調査官の作成した報告書に基づき、裁判・検察官高等委員会は、サルカヤ検察官を罷免した。サルカヤ検察官は、ヴァン100年大学のユジェル・アシュクン学長についての起訴状も作成していた。





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( 翻訳者:新井仁美 )
( 記事ID:2771 )