Ertuğrul ÖZKÖK コラム:クロイソス王の財宝盗難事件で、本当に恥ずべきことは何か(Hurriyet紙)
2006年06月02日付 Hurriyet 紙

本来ならこういう内容のコラムは私ではなくドアン・フズラン氏(ヒュッリイェト紙の論説員)の専門分野だ。
海外から彼に電話を入れ、一人の読者として今の気持ちを伝えようとした。しかし彼も外国にいて、時差があるためゆっくり話すことができなかった。結局、机に向かって自分が書くことにした。

* * *

ミリィエット紙は非常に重要なことを成し遂げ、トルコの博物館から盗まれた美術品をスクープした。クロイソス王の財宝の中でも貴重な美術品がウシャク博物館で盗難にあったことを、私たちは皆、残念に思った。だがそれよりももっと残念なのは、ニューヨークタイムズ紙はじめその他一部の新聞に掲載された記事だった。

そこにはこうあったのだ。
「あなたがたがこの歴史的遺産の返還を求めてきたので、我々は返却したわけです。しかしどうでしょう。美術品を守ることができず、盗難事件をおこしましたね。ということはつまりあなた方はこの美術品にふさわしくないのです。」

不当な意見だろうか?
これについては、少しあとで述べようと思う。

* * *

今回の事件で私を本当にいらつかせたのは、この歴史的遺産が地方の博物館から盗まれたことではない。ニューヨークタイムズ紙に掲載された抗し難いディテールだ。一文で私たちを確実に動揺させるディテール、同紙はこのディテールを、短い一文にさりげなく書いた。

だがこの一文は、私の心になんとも深い傷を負わせたのだ。

* * *

クロイソス王の財宝のうち最も貴重な美術品が収蔵されていたウシャク博物館。ここを、最近5年で何人の人が訪れたか知っていますか?

たったの579人・・・。

いや、あなたの読み間違いではない。ほんの、たったの579人なのだ。

信じていただきたい。美術品の盗難よりも、この事実のほうがはるかに私には衝撃的だった。ウシャク県には多く人々が住んでいる。いくつもの学校があり、学生がいる。学校教員のうちだれも学生をこの博物館に連れて行こうと思いつかなかったのか?ウシャクは、イズミルとアンカラを結ぶ幹線道路上にあり、毎日何千もの人が行き交う。誰も興味を持たなかったのだろうか?


ここでひとつ告白しよう。
つまるところ、これらの美術品の文化マーケティングがきちんと行われなかったのだ。うまく行われるべきだったのだが。昨今ではどの博物館も、展示中の美術品を宣伝している。つまり、博物館を売り込んでいるのだ。

ベルガマ博物館は、アリアーノのヴィーナスのような芸術的傑作を発見、展示したが、残念なことに誰にも周知することができなかった。先日私の妻は、この彫刻を見るだけのためにベルガマに行った。だが、この美術品の存在を示す案内はどこにも見当たらなかったそうだ。

* * *

さてそろそろ次の質問を考えてみよう。

私たちが犯した真の過ちは、これら美術品を地方の博物館に置いたことだろうか?コンプレックスに陥ることなく落ち着いて考えてみよう。この美術品をイスタンブル、アンカラ、イズミルで展示することは、安全性の面でも、またこれを見に来る人の数という点からも、より現実的な判断になりえただろうか。

* * *

この事件が起きて以来、私たちの多くはこんな疑問を抱いている。
この盗難事件は、トルコから盗まれ持ち出された美術品の返還活動に悪影響を及ぼすだろうか?美術品を返還したくない諸外国は、これを切り札として利用するだろうことは疑いない。しかし私からしてみれば、これは切り札にはなり得ない。なるとしたら我々にとっていい教訓となる。文化遺産展示に関する政策を新たに見直すことになるだろう。

美術品盗難についていえば、
これは我々ではなく、芸術フリークの諸外国の専売特許だ。

美術館から展示品を盗むというアートを我々が編み出したわけではない。
映画「トーマス・クラウン・アフェアー」を見よ。映画「トプカピ」もまだ記憶に新しい。

言っておくが、よく知られた博物館においてすら盗難にあった美術品のあった場所はいまだ空いたままだ。

だからこそ私にちって来館者数579名の方がよほど恥ずべきことなのだ。


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( 翻訳者:倉本 さをり )
( 記事ID:2598 )