在日イラン人暴力団による殺人事件捜査のため、警視庁捜査チームがテヘランへ ハムシャフリー紙
2006年07月16日付 Hamshahri 紙

【事件部:アーザーデ・モフターリー】東京で起きた流血抗争でイラン人の若者が殺害された事件に関連して、重要な目撃者の供述が得られたことで、日本警視庁犯罪現場捜査課の刑事らからな成る特別チームがテヘランに派遣される。

 本紙の報道によると、日本の警視庁は、メンバーの多くがイラン人移民[イラン人労働者]で構成される暴力団のメンバーの確認、および逮捕に向けた捜査を始めて数ヶ月の後、同グループの最も残虐な事件を目撃し、事件の後にイランに帰国した、あるイラン人へとたどり着いた。

●捜査の発端
 同暴力団メンバーの活動の実態が日本の警視庁によって明らかになったのは、東京都内の「オオバ」ビルの向かいでベフナームという名のイラン人が殺害され、数名の日本人が負傷した事件、および、窃盗や偽造、公共器物損壊を捜査する中で、イラン人が多数を占める暴力団メンバーの足取りを追ったことによる。

 日本の警察の捜査によれば、同グループのメンバーは就労目的で日本に入国した後、違法に同国に居住していたが、他のイラン人移民のように製造業やサービス業に就くことはせず、暴力団を構成していた。日本の警察は、幾つかの捜査段階を経て、同グループメンバーの隠れ家を確認することに成功し、メンバーの数人を夜間の強制捜査によって取り押さえ、警察へと移送した。

 グループのメンバーの一人は最初の取調べで、2005年12月28日に「オオバ」ビル向かいで発生し、3人の日本人が負傷、ベフナームという名のイラン人が殺害された凄惨な事件の犯行について自供した。

 この容疑者は警察の取調べの後、次のように刑事に自供している。「以前からベフナームの殺害計画を目論んでいた。事件の日、ベフナームがオオバ・ビルの周辺をうろついていると知り、自分もその場へ向かい、比較的遠い距離から彼に向けて発砲した。しかし、一発も命中せず、誤って日本人の通行人を撃ってしまった。ベフナームは発砲の真の標的が自分であると気づいたとたん、すぐに逃走した。私も彼を東京電力のビルまで追い、最終的に数発発砲して彼の殺害に成功し、その後すぐに逃げた。」

●容疑の否認とテヘラン警察の協力
しかし、容疑者はその後の取り調べにおいて、最初の供述とは一転、犯行に関する全ての供述を否認し、犯罪が起きた経緯に関してもまったく知らないと主張した。この容疑者の否認により、残りの拘留中の容疑者らもベフナーム殺害について取調べを受けたが、いずれも犯行を否認した後、結局殺害の容疑を互いになすりつけ合っている。

 第一の容疑者による供述の撤回と他の容疑者らの相矛盾する供述もあって、日本の警視庁はふたたび、真犯人を探し当てる謎解きに直面した。捜査を続ける中で日本の警視庁は、あるイラン人がベフナームを殺害する様子を目撃し、同事件の後にテヘランに帰国しており、彼だけが事件の謎を解く重要な鍵となることを突き止めた。

 同警視庁は、刑事事件担当判事とテヘラン殺人捜査課の捜査官らに法に則った文書を送り、この目撃者の居住地の確認、および事件の真相を暴くための彼への取り調べに関して、日本の警察に協力するよう要請した。

 ヴァリーオッラー・ホセイニー判事は、オルディーベヘシュト月16日(西暦5月6日)にこの犯罪事件に関する捜査をテヘラン警察犯罪捜査10課に指示した。ホセイニー判事は昨日、この事件に関する警察の最新の動きとして、ハムシャフリー紙に次のように語った。「テヘラン警察庁は、事件の鍵となる目撃者の身元を確認した後、彼を捜査10課に召喚した。全過程を録画した同容疑者に対する取り調べにより、同事件の新たな側面と暴力団メンバーによるこの他の犯罪が明らかになった。」

 上記報告に基づき、日本の警視庁は取り調べビデオの内容を確認し、また同目撃者に関する十分な捜査を行なうため、イランおよびテヘラン警察犯罪捜査10課に照会することになっている。また、同警察とホセイニー判事の同席のもと、鍵となる目撃者の取り調べを通じ、同事件に関する最終的な捜査を行う予定だ。

【注】上記記事は、2004年(記事中では2005年と報道)12月28日に東京都渋谷区の路上・「大場ビル」付近で起きたイラン人による乱闘・発砲事件に関するものと推測される。





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( 翻訳者:南龍太 )
( 記事ID:3024 )