イスラエルのレバノン攻撃で生後10日の乳児が犠牲に(Yeni Safak紙)
2006年08月10日付 Yeni Safak 紙

彼の名はヴァアド。10日前に(レバノン・ベイルート郊外の)シーイェで生まれた。イスラエルが自国の防衛のためベイルートやカナ、スールを爆撃し、死者が出ているさなかに・・・ ヴァアド坊やは、わずか10日に過ぎなかった「人生」の間じゅう、我々の多くが味わったよりも多くの痛みや恐怖を経験した。

ヴァアドは爆撃の音の中で生まれ、そして死んだ。よその国で赤ん坊がガラガラ鳴るおもちゃであやされているときに、ヴァアドは子守歌の代わりに爆弾の音を聞いていた。(よその)母親が子どもを腕に抱き、髪のよい香りをかいでいるころ、ヴァアドは何トンものコンクリートや鉄筋の下で、髪に土ぼこりをかぶり、目に流れない涙をためて息絶えた。

ヴァアド坊やは、母親の乳を吸っているときに、イスラエルの攻撃で亡くなった1088人のベイルート市民の1人となった。母親は最後の力を振り絞ってヴァアトをふところに抱き、彼を守ろうとしていた。しかし母親と11人の親類もまた、同じがれきの下で命を落とした。

■彼の命は握った手からすり抜けて行った

コンクリートや鉄の下で生後10カ月の体を押し潰されながら、ヴァアドはもう二度と握ることのない小さな手を握りしめた。まるで全く生きることを許されなかった彼の命をしっかりつかんで離すまいとするかのように・・・

■ヴァアド坊やの10日間の人生

・7月29日、ヴァアド誕生:イスラエルが爆撃した(レバノン南部の)スールで生まれた。父親は平穏な日々が来ることを願って、ヴァアド(約束)と名付けた。
・7月30日、大殺りくが発生:カナで子ども37人が犠牲となる大殺りくが発生した。ヴァアドは地下室で過ごした。
・7月31日、ベイルートへ避難:イスラエルは地域からの退去のため住民に48時間の猶予を与えた。ヴァアドの家族はベイルートへ避難した。
・8月1日、最初の微笑み:イスラエルの攻撃がより広い範囲に広がった。生後4日目のヴァアドは、周りに微笑みを振りまいていた。
・8月2日、民間人19人が殺害:イスラエルは、バールベクで19人の民間人を殺害した。ヴァアドの家族は戦況をラジオで聞いた。
・8月3日、死の予感:イスラエル機の攻撃によりタイベで一家3人が亡くなった。ヴァアドの家族は近づく死の足音に不安を感じる。
・8月4日、ヴァアドが生まれて1週間:ヴァアドの家族は困難な状況に喜びもつかの間。イスラエルは農場で33人を殺害した。
・8月5日、爆弾が降ってくる:ヴァアドの家族は安全な家に落ち着いたが、イスラエルの爆撃は街の中心部に達した。
・8月6日、最初の恐怖:爆撃に反応するようになったヴァアドは、うたた寝の最中にはっと目を覚ました。エンサル村で民間人5人が亡くなった。
・8月7日、母親のふところに抱かれて亡くなる:爆撃の中で生まれたヴァアドは、唯一安全なところであると思っていた母親のふところの中でイスラエルのミサイルの標的となった。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:3234 )