Tarhan Erdemコラム:トルコの政治的空白の意味
2007年01月29日付 Radikal 紙

フラント・ディンク氏の葬儀について論じた先週の私のコラムは「あの日大通りを埋め尽くした数十万人の人々は、国全体に直せば数百万人の人々である。この数百万の人々が、大声で自信を持って『我が党』と言うに足る政党が(目下)ないことこそ、トルコの政界にとって危険な空白である」という文章で締めくくった。

今日はこの「空白」について書き進めていこうと思う。

まず、私の犯した誤りを訂正しておかねばならない。かのコラムで、私は、行進に参加した数十万の人々とトルコの政界との間にある溝を評して、「自由連帯党党首を除いて、その他の政党の党首は行進と葬儀には参加しなかった」と綴った。新聞のなかには同様の意の報道をするところもあった。

社会民主人民党のムラト・カラヤルチン党首、民主左派党のゼキ・セゼル党首が葬儀に参列したことを後になってから私は知った。御両名と読者の皆様にお詫び申し上げる。

問題の本質は、この国には、数百万という人々が選挙の際に納得して快く支持しうる政党がないことだ。この状況に対して抱かれた不満は、様々な場面で、関係がある人も関係がない人も双方巻き込んで、少なからざる非難を伴って表明される。イスマイル・ジェム氏の葬儀の場でも、この要求は何度も繰り返された。長い間音信不通だったかつての政党の党員たちは「左派の統一」という願いを、挨拶の言葉の端々ににじませていた。翌日の各紙のコラムニストの中にはその場の雰囲気を文章に反映させていた者もあった。

そのようなコラムの中から文章を引用してみよう。

「有権者に今よりもより素晴らしく、希望を抱かせるトルコを約束するためには、トルコの政治には、一種の『力の結集』を目指した行動こそ必要なのではないだろうか?選挙までもう残すところ10ヶ月。先のことを言うことが可能であるならば、相互の違いにもかかわらず『自由と民主主義』の目的の下に集った人々が、どうして新しいトルコのために邁進できないことがあろうか?左派は今回の選挙には分裂した状態でではなく、一体となった、統一された状態で臨まねばならない。一票たりとも無駄にしてはならないのだ。トルコの左派は昨日テシュヴィキィエ・モスクで悲しみに沈んだ・・・。」

このような考え方は、トルコの民主主義のかつての二大政党制期に共和人民党が代表した政治志向が今日でも力を持ち続けている場合には、そしてこのような志向を抱く人々が今日存在する政党に結集することができる場合には、意味があろう。

統一を望み、今日所謂「左派」と称されている諸政党は、1970年代前半の共和人民党とはかなり異なっている。そして、これらの諸政党のいずれもが、かつての共和人民党の伝統を、現状に適合させつつ維持できなかった。

かつての共和人民党がそうであったように、目下立場の異なる人々や政党がひとつの屋根の下に呼び集められている。統一を実現するために不可欠な力強いリーダーが選ばれることもないままに、この言説は20年にもわたって議論の俎上に乗っているのである。

統一を願う人々は、変わりばえのしない顔ぶれのままに、政策を明らかにすることなく、使い古された空虚な言葉を操ってただ一言「我々は一体となりました」と言えば、得票が増えるだろうと思っていらっしゃる。過去10年間に語られた政策と人物とによって、今日「左」だとされている3つ4つの政党が統一されれば、一体どうなるだろうか?調査に誤りがなければ、約20%の有権者の票を得ることになるだろう!

こう考えてみると、そもそもの欠陥は「空白」なのだと考えられる。組織として求められる政党やおなじみの政治家のことではない。選挙に参加する権利を持つ政党はたくさんあるし政治家はたくさんいる。そうではなくて、世に知られていない新たな政治哲学や解釈、そしてその計画や実施のノウハウこそが、この国の政治の「空白」なのである。

来るべき選挙のために、そして選挙後のために、新たな政治哲学と政治解釈とが見出されなければならない。そして、求められるべきものは、この哲学と解釈とが示される「枠組み」なのである。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:10021 )