Can Dundar コラム:「私たちは皆アルメニア人」という言葉の意味するもの
2007年01月30日付 Milliyet 紙

日曜日にマラトゥヤで行われたマラトゥヤスポル対エラズースポルのサッカーの試合...
観客席のエラズースポルのサポーターが「マラトゥヤはアルメニア人」というスローガンを叫んでいる... なぜならフラント・ディンクはマラトゥヤ出身だったからだ。
それから次のような横断幕を掲げた:「アルメニア人でもマラトゥヤ人でもない。我々はエラズー人だ。トルコが大好きだ」。
これに対してマラトゥヤスポルのサポーターは「PKK(クルド労働者党)は外へ出ろ」と叫んでいる。
野次り合いは乱闘に発展した。
結果:警官3人を含む10人が負傷。

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同じ日の夜のテレビ番組「ポップスター・アラテュルカ」での出来事...
(審査員の1人である)ビュレント・エルソイがある出場者に厳しい言葉を浴びせている。鋭い舌鋒の舌先を人種主義のつぼに浸しては出しながら。
「そんなにたくさん言うもんだから、アルメニア人が私を襲いに来たのかと思った」と言っている。
その後もディンクの葬儀で叫ばれた「私たちは皆アルメニア人だ」というスローガンを批判している。次のような言葉で:「ありがたいことに私はムスリムよ!死んでも『自分はアルメニア人だ』なんて言わないわ」。

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ディンクの葬儀で「私たちは皆アルメニア人だ」というスローガンを叫んだ人が言いたかったことであり、反対したかったことはちょうどこれだったのだ。
(このスローガンを叫ぶことは)ある人々が「アルメニア人」という言葉を中傷の意味で使っている。この人種主義的な態度に反対し、アルメニア人のそばで喪に服し、彼らの心情を共有するという人道的な任務だったのだ...
確か同じ(ような)グループが、ASALA(アルメニア解放のためのアルメニア秘密軍)がトルコ人外交官を裏切って撃ち殺したとき、「私たちは皆殉職者の家族だ」と言いながら行進していたと思う。なぜならここでの真の問題は「アルメニア人になる」ことではなく、被害者に寄り添うことなのだから...

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今、民族主義の御旗の下にアルメニア人への敵対行為を行っている人たちに対し、次のことを問いたいと思う。
「マラズギルトの戦いでトルコ人がアルメニア人とともに戦って勝ったことを知っていますか?」
「イスタンブルを陥落させたときに、アルメニア人の行った英雄的な行為について知っていますか?」
「チャナッカレでムスタファ・ケマルとともに戦ったアルメニア人の兵士たちの名前を知っていますか?」
「アタテュルクが今日我々の使っている(トルコ)アルファベットをアルメニア人言語学者のアゴップ・マルタヤンに用意させて、後に彼に『ディラチャル(言葉を開くの意)』という苗字を贈ったことを知っていましたか?」
最後の質問はこれだ:
「アルメニア人の友人にこれらの質問をしたのがアルパッサン・テュルケシュであることを知っていましたか?そのテュルケシュが600年間にわたるトルコ-アルメニアの友好関係を復活させるため、アルメニアの大統領であったペトロスヤンと会談し、アルメニア軍がアゼルバイジャン領内から撤退することを条件にアルメニアとの外交関係の樹立を主張したことや、1915年(のいわゆるアルメニア人大虐殺)の犠牲者の追悼のため、トルコ-アルメニアの国境に追悼碑を建て、碑のアルメニア側にトルコ語で、トルコ側にアルメニア語で『我々の与えた痛みを遺憾に思います』という言葉さえ入れようと考えていたことを知っていましたか?(彼の)こうした態度から今日の民族主義者たちが得るべき教訓はないのですか?」。

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もう一度書いておこう。
我々は互いを「トルコ人、アルメニア人、クルド人、シリア正教徒、アレヴィ教徒」などと区別してはいない...
我々は「良心の持ち主」と「そうでない者」として区別している。
一方には人種主義者で、人の気持ちを理解できない、良心に欠けたトルコ人、クルド人、アルメニア人、ギリシャ正教徒、イスラム教徒、キリスト教徒がいる...
もう一方には隣人の痛みを自分のもののように受け止められる、隣人の傷に軟膏を塗ってあげられる、良心を持ったトルコ人、クルド人、アルメニア人、ギリシャ正教徒、ユダヤ教徒などが...
このように分類しなければ、最後には誰もいなくなってしまう。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10031 )