クルド自治区文化相、トルコ領クルディスタンにおける文化・政治・社会運動について語る
2007年02月03日付 al-Sabah al-Jadid 紙

■ アイセル・トゥールクとヤシャル・ケマル

2007年02月03日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP1面

【フィラクッディーン・カーカ・ナイ、クルド自治区文化大臣】

2007年1月13日14日に行われたクルド・トルコ和平のためのアンカラ会議に際し、作家、ヤシャル・ケマルの言葉を前回(の記事で)紹介したが、彼が得た栄誉について書き漏らした。作家の言葉が終わると同時に白髪のクルド人女性が進み出て、その肩に大きな白いショールを羽織らせ、彼を熱く抱擁したのである。

それは平和の旗印、平和の勲章であった。過去数週間に渡り、クルド起源の地名を持つディヤール・バクル(アーミド)から首都アンカラまで行進したデモ参加者が、そのような白いショールあるいはハンカチを身に着けていた。デモ隊は、代表団の受け入れを拒否した(トルコ)国会に、平和のための覚書を手渡しに行ったのである。

クルドの市町村では、政治犯として投獄されたり死亡した人々の母親や家族が、民主的な平和運動を組織し、「平和の母たち」と呼ばれている。以前の機会に私はこれを、クルド・トルコ和平のための「白いインティファーダ」と形容した。クルド民族の代表との協議を通じ、クルド問題の平和的解決を探る事をトルコ国家に受入れてもらうため、民主的、合法的、平和的な手段に則った運動で、これまで1人も犠牲者を出していない。

イラクでも1960年代初頭に同様の運動が起きた。数万のイラク人が、「クルディスタンの平和のために」をスローガンに結集し、当時のイラク政府に、「分離政権」を呼びかける署名を集めた。結果、停戦と、1961年から63年までクルディスタンの平和、クルド解放運動指導部との協議等が実現した。周囲の情勢、パワーバランス、生活様式において、61年のイラクと2007年のトルコという違いはあれど、現在トルコで起きているのは、似通った大衆闘争であると言える。

彼が白いスカーフに包まれた二日後、私はテレビを通じて彼に呼びかけた。

「ヤシャル、あなたはノーベル文学賞よりも優れた賞を得た。ノーベル賞もあなたにふさわしいが、こちらは一層の誉れである。あなたは、あなたの民の自由と平和の象徴となったのだから。」

彼が、クルド出自であると公言し、クルドの小説を書く事ができるようになったのは、ごく最近のことである。会議で彼は、クルド語について話したのだが、その言語の豊かさと美しさを描写し、クルドの文化的言語的起源の確定を望むとした。そして、トルコ政府が、クルド語の使用、奨励発展の自由を許可するための法改正、改憲を遅らし続ける中で、各地のクルド民間団体が語学教育のための学校を開いているのは注目すべきだと述べた。

(中略)

ヤシャルが文人としてこれらの運動を代表する一方、現在のトルコで恐らく最大の合法的クルド政党、民主社会党(DTP)の党首、アイセル・トゥールクは、政治社会的分野での活動で、トルコのみならず中東の社会生活全般に深い影響を与えるであろう新たな伝統作りを担っている。

この政党は、女性であるアイセルと、リベラル派のクルド政治家、元トルコ国会議員でしばしばトルコ当局に追跡逮捕されていたアフメト・トゥルクの2人を党首とする。その制度が如何に機能するのか詳細は知られていないが、政党の諸機関全てにおいて女性メンバーの割合が40%以下にならないようにという規則がある点で、特異である。これは、中東全域、あるいは先進国の大部分でも実現されていない数字だ。イラクは、国会及び政府機関における女性メンバーの割合が25%を下らないこと、というのが憲法に制定されているが、政党、政治団体においては、男性メンバーがこの数字を軽んじている。

2007年1月8日付アルビル発行のクルド週刊誌カウラーンにおいて、アイセルは、この数字に見合うよう女性党員を確保する事が困難である点を率直に明かしつつも、彼女の党は、この規則(女性率40%)適用のために労を惜しまないと述べた。また、各支部からトップに至るまで民主的選挙を実施した事についても語っている。クルドならびにトルコ社会に民主主義を普及させるというのも、彼女が目的とするところである。

実際、我々が北部クルディスタンと呼ぶトルコのクルド地域においては、政治社会分野での女性の参加率が、他のクルド地域、特にイラクのクルディスタンと比べると非常に高い。トルコ社会が、その生活習慣においてヨーロッパに近く、また政治的社会的にも交流があるという点が多大な影響を及ぼしているのだろう。

アイセルは、トルコにおける民主主義の発展の可能性について述べ、クルド問題の平和的解決、イラク・クルディスタンの経験を参考にする事を呼びかけた。また、バルザーニー自治区大統領を中東の安定要因と評した。ヤシャルも、自治区の人々との連帯を呼びかけており、「南部(イラク・クルディスタンを指す)の人々は、我々の歴史の深部である」と述べた。

アイセル・トゥールクは、1965年バルシーム生まれの弁護士で、トルコではクルド人の社会政治活動家として知られる。トルコ語その他の外国語と、ザーザニーヤ方言のクルド語を話し、99年のアブデュッラー・オジャラン逮捕の後、彼の弁護団に加わっている。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:10092 )