Turker Alkan コラム:世俗主義は原因か、結果か?
2007年02月18日付 Radikal 紙

メフメト・ユルマズ氏は昨日〔2月17日〕、ヒュッリイェト紙の(コラム)コーナーで、科学研究に割かれた資金、発表された科学研究、エンジニアや研究者数など非常に多くの点で、トルコがイスラーム諸国のトップであることに触れ、「原油のおかげで金持ちな国もあるイスラーム諸国の中で、なぜ〔産油国でない〕我々は首位なのだろうか?」という問いに次のような答えを出していた。

「この違いを生んだものとして、私の考えでは、二つの重要な点がある。一つは、トルコには千年以上も遡る「多文化」の社会や国家の伝統があること、もう一つは、1923年以降「世俗主義」を選択したことである!」

ユルマズ氏は世俗主義を我々の発展の主要な要素の一つとみなしている。他方、同日ラディカル紙に掲載された、ジェンギズ・イルハン氏の記事にある次の文章を読んでみよう。

「世俗主義は一つの原因ではなく、結果である。西洋諸国は世俗的になったために合理的になり、科学技術の点で進歩したのではない。合理的になり、人間の理性を知識の源として認めたために、まずは形而上学において、後に科学技術において進歩し、これらの結果として世俗的になったのである」

世俗主義を、ユルマズ氏は発展の原因として、イルハン氏は結果としてみている。あなた方はどちらが正しいと思うだろうか?
私にしてみれば、どちらも正しい!

西欧諸国が自らの自然なダイナミクスのなかで遂げた進歩と同じものを、発展競争に後から加わった諸国に期待することはできない。

イルハン氏が書いたことは正しい。西洋諸国では世俗主義より前に科学技術が発展した。それだけではない。文化、日常生活、資本主義化、産業化、官僚体制化という分野で、宗教の影響が減少した。この発展は「俗世化」または「非宗教化」と呼ぶほうが、より正しいだろうと私は思う。

世俗化は、つまり政治が宗教の影響から離れることであるが、〔社会的・文化的非宗教化の〕後に、政治の非宗教化によって実現したのである。

西洋諸国では、政治より前に社会的・文化的生活が非宗教化したために、後の政治の非宗教化には大きな反発が起きなかった。むしろ、〔政治の非宗教化は〕社会全体にひろがる一つの絵柄を完成させるような進歩となった。

我々といえば、全く反対であった。まず政治が世俗化し、後に国家権力に従って、社会的・文化的生活の非宗教化が開始された。このところ我々が直面している問題は、部分的には、この〔西欧と〕反対〔の世俗化過程〕に起因するものだと私は思う。

しかし、他の方法はなかった。発展の「典型的な」展開を辿るのを無為に待っているわけにはいかなかったのだ。トルコはトップダウン式ではあっても世俗化し、その恩恵にあずかった。

実のところ、「非宗教化」の過程は西洋でも完成に至ったとはいえない。割と最近、数週間ほど前だが、カトリック諸国の一つで中絶を自由化するために国民投票が行われた。教会の反対にも関わらず! ここ30~40年で、カトリック教会はバースコントロール、離婚、中絶という分野でしばしば敗北を喫している。

非宗教化と世俗化は、我々だけの問題ではない。その内容や程度は異なるにせよ、全世界において一般的に発生している現象なのだ。そして、近代化、民主化過程の不可分な一部なのである。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:10206 )