Tarhan Erdem コラム:トルコ歴史協会長の発言は歴史的誤り
2007年02月26日付 Radikal 紙

トルコ歴史協会(TTK)のユスフ・ハラチオール会長が、アナトリア通信のブルジュ・ビルギン記者に昨日語った内容を驚きを持って、また悲しい気持ちで読んだ。私が驚いたのは、TTKの会長がフラント・ディンクの葬儀の参加者を一括りにして「この社会は」で始まる言葉で批評したことや、彼らを「特定のイデオロギーの信奉者」と定義したこと、「何千人もの人々による『まるで彼のこの死が前々から分かっていたかのような行為』だと決めつけたことや、スローガンやプラカードはあらかじめ用意されていたと口にしたことだ。

ハラチオールは歴史家としての仕事を放棄して、探偵のような作法で問い掛けた。「何千枚ものスローガン(の書かれたプラカード)はどこで印刷されたのか、誰がこの資金を出したのか?」「これらのことが調査されなければならない」。事件は、彼によれば「(物事の)端緒」である。一体何の端緒なのだろうか?
ある人が、その葬儀で何千人もの人々が何かの中央組織に指示されて行進したという確信を持てるということは、葬儀の模様を伝える1枚の写真も1分の映像も見ていないに違いない。「特定のイデオロギーの信奉者だ」と言って非難することは、1人の歴史家の発言として適当だろうか?どんなイデオロギーだというのか?何千人もの人々が同じイデオロギーを共有しているとどこから分かったのか?これはなんという軽率な発言なのか?

「まるで彼のこの死が前々から分かっていたかのようだ」という言葉で何を言い表そうとしているのか?ハラチオールが、何千枚ものプラカードが2日で印刷されたということから(この)結論を導くことができたことに本当に驚いた!かつて我が国の先端技術の投入された印刷所を所有していたTTKの会長が、2日間で10万枚のプラカードが印刷されることにこれほど大きな意味を持たせるということは、彼が毎日読む新聞にさえ注意を払っていないことを表している。通常の日で30~50ページ印刷される日刊の新聞を手に取る人なら「何千枚ものスローガンはどこで印刷されたのか?」と言えるはずがない。

TTK会長の発言で残念に思った部分は、「トルコでは今日、多くの騒乱の下地が作られつつあると思う。クルド系の同胞はよく注意しておくべきだ。これほど近い関係にある人同士を敵対させること」は「完全に帝国主義的な考えを持っている人々を」裨益することにしかならないという趣旨の発言である。
ハラチオール氏は、クルド問題に関わる話のテーマを完全に外部と繋げて考えており、テロと関連付けている。我が国では数多くの人々がこの2つの見地からクルド問題を考えはじめ、結論に達している。

その通り、クルド問題を外部から調べる者がいるはずであるし、常に出てくるだろう。つまりテロ問題としてのクルド問題を利用している者がいるし、彼らは今後も利用するであろう。テロはクルド問題の唯一の要素ではなく、外部勢力もまたクルド問題の唯一の原因ではない。これらは(それぞれの要素の持つ)構造の結果としてクルド問題と関係している。つまりテロがなくても、外部勢力がこの問題にかかわらなくともクルド問題は同じだけの重要性と広がりを持って存在しているはずなのだ。逆に言えば、クルド問題が解決に向かうことがテロの力も外部勢力の力も弱め、影響力を制限することになるはずだ。
(実際は)このようであることから、クルド問題はテロや外部勢力とは独立した問題として考えなければならない。テロや外部勢力が別個に取り上げられるなら、クルド問題は早急に解決に向かうだろう。全てを一緒にして考えているために時間を浪費しているのだ。

TTK会長は、1人の歴史家として、クルド問題とテロ・外部勢力問題の切り分けを最初にすることになる人々の1人であるし、そうでなければならない。にもかかわらず彼は、クルド問題においてテロと外部勢力に主眼を置いている。そして残念なことに、フラント・ディンクの葬儀を「特定のイデオロギーによる」企てだとみなしている。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10279 )