Altan Öymen コラム:フォークを持つ手は右か左か?―「右手で食べよ」のハディースに思う【上】―
2007年03月01日付 Radikal 紙

食事をするときフォークを持つのは右手なのか?左手なのか?・・・昨今の問題のひとつはこれだ。
コトは、イスタンブル県宗務局が用意した説教でテーマに取り上げられた。説教を作成した委員会メンバーのひとり、イスマイル・イペキ氏は、『ヒュッリイェト』紙に対して行った会見で、右手で食事をするのがハディースの定めるところであるとし、以下のように語った。
「礼儀作法だからと言ってナイフを右手に、フォークを左手に持ちながら食事するのはふさわしくありません。この食事の作法は西洋の習慣です。我々に関して言えば、右手で食事するべきです。」
この説教はテレビ各局でも取り上げられた。イスタンブル県宗務局のムスタファ・チャウルジュ局長はこの説教文を支持した。宗務庁のアリ・バルダクオール長官のほうは、異議を唱え、こう述べた。
「こういった見解がどこから出てきたのか?理解に苦しみます。イスタンブル県の者たちは机に向かって事を成そうとしている(≒机上の空論を振りかざしている)が、それではいけません。我々の日常にはより重要な事柄があります。優先すべきものとして(挙げられるのは)、校内暴力に対して我々に何ができるか、ということです。この問題について我々は議論すべきなのです。」
バルダクオール長官のこの発言に対しては、あるイスラーム主義系の新聞が行動に移った。「バルダクオールの驚くべき発言」との見出しで、長官が「イペキ氏の発言を批判し、『ヒュッリイェト』の報道を擁護する事態になってしまっていること」が「注意を引いた」と記していた。

***

私には、議論の先行きは見当もつかない。この問題は、もちろん、宗教的問題を扱う専門家の仕事である。しかし、私のような純粋なムスリム国民もが興味をそそられている。はて、今までの我々の食事の作法は、イスラームに鑑みれば正しいのか?正しくないのか?どのように我々はそれを理解すればいいのだろう?
私は、独自の見解を持つべく、まず私の記憶を辿ってみた。次に、何冊かの書籍にあたり、少しばかり「グーグル」で検索してみた。(結果)次のような見取り図が浮かび上がってきた。
物心が付いて自力で食事を食べるようになった最初の頃、私はフォークを常に右手に握っていたことを覚えている。これ(→右手にフォークを持つ習慣)は随分長くそのままだった。チョルバはスプーンで食べた・・・。マントゥ(トルコ風餃子)やクル・ファスリェ(豆のトマトソース煮込み)といった料理も・・・。あとは右手に持ったフォークで食べた。
皿の脇にナイフがあるのは、それは切り分けられていない肉を切るためだけに置かれていた。それも滅多にあることではなかった。(ナイフがあるのは)例えば、食事に客人が見えたとき・・・。
そういった状況で、私は肉を切って食べるのを二段階に分けてやっていた。どういうことかといえば、まずナイフを右手に持ち肉を切り分けてしまってから、ナイフを置いて右手にフォークを持ち替えていた。(そして)右手に手にしたフォークで食べた。
結果として、(今回の)イスタンブル県宗務局の説教の内容にふさわしい状況だった。
私がより大きくなった頃、母は私に「一段階」の作法にするように言ったものだが、無理強いはしなかった。なぜなら、当時は私の家族や客人の間にこの作法がまだ定着していなかったからである。
但し、両親からすれば、この作法に合わせねばならぬ事情があった。
父の仕事のゆえに、2人は公(おおやけ)の会食の場に出ていたのである。
(そういった場の)両親の座る席には、皿の左脇にフォーク、右脇にナイフがあった。
皆が料理を、その作法にしたがって食べていたのだった
私が言っているのは1940年代の話である。私の父は1900年、母は1910年の生まれ。この(エピソードの)年代には、父は40代、母は30代だった。私は、彼らに尋ねたこともなかったが、今になって考えるのだ、両親はおそらく、机(と椅子)でではなく、床にしつらえられた食卓で食事をする状況で子供時代を送ったのだと。机(と椅子)で食事をするのはより後になってからやり始めたことだった。
フォークとナイフを同時に使う作法を、彼らはまだ取り入れたばかりだった。
トルコにおける食事の作法の発展は、こういったプロセスの最中(さなか)にあった。
もちろん、このプロセスの進み具合は、地域ごと、状況ごとに様々だった。実際、私の場合、少年時代ではなくもう少し経ってから身に付いたフォークが「左」、ナイフが「右」という作法そっちのけで、机でではなく伝統的な食卓での食事を続けるトルコ国民は、今日でも相当いる。
私はジャーナリスト、そして政治家としての人生のなかで、あらゆる種類の食卓を経験している。スプーンだけしか使わない刑務所の食卓を含めて・・・。いくつかのアラブ諸国での豊かだが、大皿と手だけを使って食べる晩餐の食卓を含めて・・・。なんら苦もないことだった。
しかし、とりわけ若い世代でこの(左手にフォーク、右手にナイフという)作法を身に付け、それに満足していて、他の何らかの作法を身につけるのに抵抗感を抱く方々は少なくない。
今、この声明に関する議論の結果、「左手にフォークを持つのは、ハディースからの逸脱であり、西洋の習慣である。よって我々にはふさわしくない。」との論が優勢となった場合、彼らはどうすることになるのだろう?

***

状況はいまだ明らかではなく、議論の最中である。私がジャーナリストとして目にした資料によれば、以下のような結論になる。
イスタンブル県宗務局が言及した当のハディースができた頃には、世界に「食器」として用いられる「フォーク」はなかった。イペキ氏がフォークを右手で持つように求めているのは、この観点からすると、意味深なのだ。
食の歴史を扱った書籍や百科事典の記述から分かったことは、次の通りである。
「フォーク」は、その当初は肉片を火から下ろすのに用いられ、非常に大ぶりな器具であった。小ぶりになって「食器」として食卓に置かれるようになるのは、10世紀に始まったことらしい。用いられた場所はといえば、今日の「西(洋)」ではなく、当時の「東(洋)」・・・。東ローマ(ビザンツ)帝国の首府であるビザンティウム(コンスタンティノープル)、つまり今のイスタンブルの街だ・・・。イスタンブルでまずビザンツ帝国の食卓で用いられたのち、「フォーク」はイタリアへ伝わった・・・。そして、その後フランスへ・・・。フランスではまず宮廷の食卓で用いられた。富裕層の食卓に定着するのは、より後で・・・16世紀のこと・・・。
つまり、10世紀まで、世界ではスプーンとナイフ以外は何も用いられなかった。それ以外の食器(と言えるもの)は「手」だけだった。そして、料理はめいめいの皿からではなく、(食卓の)共通の大皿から食べたのである。
イスタンブル県宗務局が言及した――料理を「右手」で食べることを想定した――ハティースは、明らかに、料理を手づかみで食べることと関係がある。そもそも、チャウルジュ局長がテレビでの会見で明らかにしたところによれば、同じハディースには「右手で食べよ」に加えて、「汝の前から食べよ」という文言も記されている。
「汝の前」とは、つまり、共通の大皿の自分の正面にあたる部分から食べるように・・・他人の正面にあたる部分まで手を伸ばさないように気をつけるように・・・ということである。
その当時の世界の状況からすれば、この示唆は極めて理に適ったものだ。
フォークはなかった・・・。そもそも、スプーンやナイフが使われるのはごく稀だった。食事は基本的には手づかみだった。かの「手」が「右手」なのは、当時の衛生上の理由に因るものだ・・・。皆が共通の大皿のめいめいの正面側から食べるのも、他の者が食べる権利をおもんばかってのゆえのこと・・・。
しかし、かの「フォーク抜き」の作法を、フォークが便利な食器であると知れた後に、維持することを望めようか?

***

実際のところ、歴史上ではそう望む人々が現れた。
「フォーク」は、16世紀にはフランス宮廷を飛び出し富裕層の食卓に定着したが、これにローマ教会が異を唱えた。食卓からフォークをなくすよう求めた。
教会側は、この異議申し立てを古典的なある要件にしたがって行った。キリスト教初期の生活様式に忠実であらねばならぬ、と主張したという・・・。
さらには、古い宗教画を引き合いに出して(「初期教会の様式を護らねばならぬ」とは)別の論法を用いて、こう述べたそうな。
「フォークは、悪魔、魔女の象徴である。」
(つづく)

***《解説》***

コラムでも「西洋式の作法」が食卓に持ち込まれたのが比較的最近のことであると―著者自身の回想を交えて―述べられているが、トルコで西洋式の机と椅子のある「食卓」が広まるのは、そう昔のことではない。それ以前は―ところによっては現在も―、同コラムで「床にしつらえられた食卓」あるいは「伝統的な食卓」と訳した食卓―ソフラ―での食事が一般的であった。
ソフラは、狭義には食事の際に料理を並べるために敷かれる大判の平織りの布そのものの名称であるが、そこから転じて、食卓の意が出てくる。
具体的には、脚の短い(多くは車座になって座れるように円形の)卓に、この食卓用の布「ソフラ」を掛け、料理が供される。脚が短いので、椅子はなく、絨毯敷きの床に腰を下ろしての食事となる。安易に共通性を指摘することは慎むべきであるが、日本での冬場のコタツを囲む様子を想像すると、それに近いかもしれない(暖を取るために脚を差し入れたりはしないが)。但し、コタツ布団とソフラの違いは食事後に一目瞭然である。残った料理やパンくずは、それまで食卓に掛かっていたソフラに集めて包まれ後始末完了となる。
(文責:長岡大輔)

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( 翻訳者:長岡大輔 )
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