Taha Akyol コラム:「ジェノサイド」の要件示したボスニア虐殺の判決
2007年02月28日付 Milliyet 紙

ボスニア・ヘルツェゴビナのイスラーム教徒が犠牲になったジェノサイド(大量虐殺)は世紀の恥ずべき事件であった。メフメト・アーキフ(※)の言葉を借りれば、ヨーロッパの「仮面を付けた良心」はこの惨事を傍観し、クリントンによる北大西洋条約機構(NATO)(軍)の出動でようやく収束させることができた。
ハーグの(国連)国際司法裁判所は、2月26日に「ジェノサイドを行ったこと」ではなく、「ジェノサイドを防げなかったこと」についてセルビア政府の責任を認めた。良心がそれほど傷つけられたので、この判決がイスラーム教徒に対して行われた大量殺人を「ジェノサイド」と認めていないかのように理解された。
しかし実際のところ判決は、1995年7月にスレブレニツァで8000人近いイスラーム教徒の男性がセルビア人によって殺された事件は、「ジェノサイド」罪の次の2つの条件を満たしていると認めている。

・特別な意図:単に「大量殺人」「戦争犯罪」「民族浄化」「強制移住」を行うというような意図だけでなく、ある一族や宗教集団を部分的または完全に抹殺するという意味での「特別な意図」が必要である。同裁判所は、スレブレニツァでボスニアのセルビア人勢力がこのような「特別な意図」を持ってジェノサイドを行ったと指摘した。

・行為の性質:第2の条件として、同裁判所は、スレブレニツァでイスラーム教徒に対して行われた大量殺人の規模と性質もまたジェノサイドと呼べる次元のものであったと認めた。

■国の責任は?

国際司法裁判所によれば、ジェノサイドが「非常に重大で、例外的な犯罪」であることから、(認定には)「特別な意図」と、「どんなに小さい疑問の余地も差し挟まずに結論を導けるほど明白な」証拠の両方が必要となる。同裁判所は、このような非常に強力な証拠により「スレブレニツァでジェノサイドが行われたという結論に達した後」、ボスニアのセルビア人勢力が行ったジェノサイドに対しユーゴスラヴィア(セルビア)政府がどの程度責任を負うのかを検討した。
この判決の持つ司法判断の性質はここにある。どのような条件により国家にジェノサイドに対する責任を負わせることができるのか?

同裁判所は、ボスニアのセルビア人勢力が「政治的、軍事的、財政的紐帯によりセルビア政府と結びつく」ことから得られた力によりジェノサイドを行ったと指摘。しかし「ジェノサイド」の実行について、セルビア政府には「特別な意図」を持って命じたこと、あるいはセルビア政府の構成員がジェノサイドを行ったことに関する「明白な証拠」がないために、政府に責任はないとした。
「ジェノサイド」を行うことではなく、「虐殺を防げなかった」ことについて、また戦争犯罪者を引き渡さなかったことについてセルビア政府の責任を認めた。(判決については同裁判所HP http://www.icj-cij.org/icjwww/icj002.htm を参照のこと)。

■法律家の見解

ブリュッセル大学の国際法教授であるルーシェン・エルゲチは、判決は「ジェノサイド」の概念を法的に定義・限定した司法判断であるとし、次のように述べた:
- ある惨事は大量殺人であり、戦争犯罪であり、民族浄化であるかもしれないが、ジェノサイドではないかもしれない。これらは別々の犯罪であり、判決はこのことをより明確にした。
大量殺人を行ったセルビア人が(旧ユーゴ国際)戦犯法廷で裁かれていることや、国際司法裁判所が国家間の意見の衝突だけを対象にすることに言及したエルゲチ教授は、国家機関がジェノサイドの責任を問われることについて次のように語った:
- 同裁判所は、ジェノサイドを非常に例外的かつ重大な犯罪として位置づけている。国家機関あるいはその構成員がジェノサイドの意図を持ってこれを行ったとするとても強力な証拠がない限り、国の責任を認めない...
アルメニア人大虐殺の主張についてはどう考えるか?
- とても政治的なものだ。ジェノサイドとしてトルコの責任を認めることがそもそも法的な面から無理だった。今回の判決で完全に不可能になった。
同裁判所の判決は極めて重要である。十分精査されなければならない。


(※)メフメト・アーキフ・エルソイ(1873-1936):トルコの詩人、思想家。トルコ国歌(独立行進曲)の作詞者としても知られる。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10309 )