Hasan Cemal コラム:オザル、デミレルの次にチャンカヤに上るのは...
2007年03月06日付 Milliyet 紙

我々が使っている政治用語で「チャンカヤ(※1)」というとき、大統領府を意味する。
チャンカヤにはもう1つのコードネームがある:「海抜864メートルの丘」だ!
今、誰もが問うている:エルドアン首相は海抜864メートルの丘に上る(=大統領になる)のだろうか?
7年ごとに1回そうであるように、政界は(今回も)やはりこの問いで持ち切りである。政治の舞台裏では(いまだ)はっきりとした情報が掴めない状況だ。

14年前だった。
1993年4月18日。
トゥルグト・オザル大統領が急死した次の日の早朝、私は(当時の)スレイマン・デミレル首相に電話をして尋ねた:「あなたは大統領になるのですか?」
デミレル:「何も考えていない。まだ何か考えられる状態ではない。葬儀が終わるまで何も考えられない。アナトリアではこんな言い方がある。まだ死人の体が冷めていないんだぞと言う。もう遺産を分けているのかと言う。(今がその言葉と)同じ状況ではないが...」。
私:「分かりますけれども... 人生も政治も容赦はありません。当然常に気になっています。あなたはチャンカヤに上るのですかと尋ねると、『いや、私は首相を続ける』が最初の答えではなかった。『次の500日(※2)がまだある。今の職務を続ける』とも言わなかった。それでは(首相に)何もコメントがないかのような状況が生まれます...」。
デミレル:「少し考えさせてほしい。自分のことではなく、トルコのことを考えなければならない」。
デミレルはここで電話を切った。
私が再度電話をして食い下がると、今度は内容を(記事に)書かないという条件で話に応じた。私は聞き漏らすまいと必死に耳を傾けた。なぜならこれはいつもの“デミレル節”(※3)とはおおよそ違うからだ。デミレルは普段、オフレコで新聞記者に物を言わない...
デミレル:「さて君に今オフレコで話そう。チャンカヤはこの500日間でとても重要なものであることを世間に示した。国を動かすという意味でも、議会と政府が機能するという意味でも...」。
「分かります」。
「もしチャンカヤが、―書かないという条件で話すのだが― この辺りでブレーキを掛けたがっているのなら、よく効くブレーキを掛けて国が機能しない状態になっている。そしてトルコはこのことから悪影響を受けている」。
デミレルはさらに次のように続けた:
「こういう理由から、問題は私個人がどうするかではない。問題は、チャンカヤに国を機能させられる人がいる(かどうか)ということだ。つまりチャンカヤは、誰かにプレゼントされたり、贈り物として贈られたり、さあなりなさいと言われるような地位ではない」。
私:「この部分がオフレコだということですか?」
デミレル:「全部だ... しかしもちろん(私の話から得た)自分の考えは私の話とせずに自分の記事で使えばいい。残念ながらとても苦労した。もしこのバイパス法案を出せなければ、我々は国を運営できない」。
メッセージを受け取った。
その当時(記事を書いていたサバフ紙)の総発行人であったザフェル・ムトゥルに電話をした。我々は次の日、大見出しで他紙を出し抜いた:「デミレルがチャンカヤに上る!」
亡きオザルもデミレルと似た理由で1989年にチャンカヤに上っていた。彼もまたチャンカヤをトルコを発展させる改革の前に立ちはだかる障害と考えていた。オザルもデミレルのようにチャンカヤからトルコを動かせると考えていた。
しかしそうはならなかった。
オザルもデミレルも失意に打ちひしがれた。

今、エルドアンが重大な局面を迎えている!
彼もまた首相として、ちょうどオザルやデミレルのようにチャンカヤのシステムの中での地位をよく観察し理解している...
しかし他方では、実際にあったオザルとデミレルの経験がある。
エルドアンはどうするのだろうか?


(※1)アンカラ広域市南部の丘陵地帯にある市街地の名称。大統領府がある。
(※2)1991年10月20日に行われた総選挙で、正道党(DYP)党首だったデミレルは500日間で「インフレを10パーセントに抑える」「拷問の廃止」「民主主義の定着」などといった目標を達成することを公約に掲げた。選挙で勝利し第1党となったDYPはエルダル・イノニュが党首を務める社会民主人民党(SHP)と連立政権を組み、デミレルが首相に就任した。
参考:
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=159552(トルコ語)
http://ekonomitarihi.blogspot.com/2006/03/1991.html(トルコ語)
(※3)言質をとられないよう明瞭な言葉を使ってあまり中身のない話をする話法を指していると思われる。一例:Yaptimsa ben yaptim.(私がやったのなら、私がやったのだ)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10355 )