Türker Alkan コラム:新時代に際したとまどい―脳と「宗教」の関係性
2007年03月24日付 Radikal 紙

人間は生物学的な一種の機械なのか?肉でできたある種のコンピューターなのか?

こういった問いを今後より一層問うていくことになるだろう。なぜなら、テクノロジーは、急速に向上しており、多くの問題について、人間が神の力によって創られたわけではなく、進化よって実現した高等な機械であると主張するのがもっともだと示す結果を明らかにしているからだ。

例えば、数ヶ月前、人間の思考力によってコンピューターを(遠隔)操作することに成功した。救いようがないほどの唯物論者である友人のひとりはこう言ったのだ。「このように、人間の脳細胞とコンピュータの機械的なメモリが協力することでうまく調和がとれるようになる。人工物と自然物の間でのこういった二人三脚は、今後も続くだろう。こういった技術を進歩させれば、『超人』へと至る道筋が開けるだろう。」

もちろん、こんなことがどの程度可能なのかは私にはわからない。誰か知っている方がいらっしゃるとも私には思われない。しかし、これがあり得る話だということは明らかだ。そうなった場合、「特別」で「選ばれた」人間の特質を傷つけてしまうことにはならないだろうか?

昨日の各新聞であるニュースが報じられた。「心の声として知られる良心の源が脳にあることが明らかとなった」というものだ。興奮するとドキドキするので、かつて感情の源は心臓であるとされていた。中世の学生たちは脳に機能はないと考えていた。脳がいかに重要な器官であるかをより後になって我々は学んだのだ。

この発見のプラスの意味はなんだろう?国家が望むとおりに「良心をそなえた」国民や「良心の欠けた」国民を仕立てあげる、そんな日がいつかやってくる、ということだろうか?「良心」と我々が呼ぶ複雑なコード化や機構化の体系が、脳の生理的作用の結果なのだとしたら、人間を「良心を欠いた」ままに行ったと罪に問い収監するのは、どの程度正しいことなのだろうか?良心を欠いた犯罪者は「罪は私にはない。私の脳に罪があるのだ。私を手術されたし。そうすれば問題解決だ。」と言いはしまいか?

国民の脳が国家によって管理されるので、おそらく犯罪者は全くいなくなるのかもしれない。(そうなれば)誰もが、国家と社会の積極的な奉仕者となるだろう。

アメリカのシアトル市で小児科医として勤務するメルヴィン・モース博士は、長年の研究の末、右脳の側頭葉が「宗教的信仰」に関わる箇所であるとの結論に達した!神への信仰、テレパシー、予言、救済者意識、宗教的信仰・・・全てが右脳の特定の箇所によって左右されているらしい!モース博士はこの研究を『神の宿る場所』という題名の一冊にまとめた。

一見するところ、この種の様々な「精神的な」能力を脳の化学反応へとおとしめる説明は、神を信じることや精神的信念(の価値)を疎かにするかのように予想されるものだが、モース博士はそう結論付けてはいない。

博士は、脳に信仰のための特別な箇所が存在することが、このような信仰を否定するものではなく、むしろ逆に肯定するものであろうと主張する。

昨今発表された別の研究は、より急進的な結論を下すに至った。人間の思考(のメカニズム)を解読する装置が開発されたという。目下、初歩的段階にあるとはいえ、この解読装置が、短期間に発達していくであろうことは疑いない。

嘘をついたり、隠し事をするという行為が過去の遺物になるのはそう先のことではないのかもしれない。

人が、他人や国家、社会や自分たち自身との間で取り結んできた関係を根底から変化させていくような世界へと我々は進んでいる。全速力で!それはより良い世界なのだろうか?

正直なところ、私にはちっとも自信がもてない。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:10471 )