Taha Akyol コラム:種々のアイデンティティと人口調査
2007年03月23日付 Milliyet 紙

世俗的なトルコは、いつの時代でも人々の宗派(宗教)を問うセンサス(人口調査)を行ってこなかったが、しかし1965年まで「母語」を問うセンサスは行ってきた。
今日我々の手には、アイデンティティ(自分は何人・何系であるか)に関するセンサスの数値はない。(そのため)種々の推測や願望に応じた数値が示されているのだ。
公的なセンサスにおいて母語をクルド語とした人の割合は、1965年までは約8%だった。その時代には経済的、社会的構造に重要な変化がおきていなかったので、この状況が定着したのは当然である。
KONDA(民間の調査・コンサルタント会社)によると、この割合は増加したそうだ。18歳以上で母語がクルド語である人の割合は12%であるが、「私はクルド人です」という人の割合は9%である。つまり、この差は自らを「トルコ人(Türk)あるいはトルコ共和国国民」というような、様々な概念で考えていることを示している。
この母語とその帰属の数値に、18歳未満人口も加えて試算すると、クルド人人口の割合は、KONDAによると15%となる。
15%とはすなわち約1千百万人になる。
EUによる2004年の進捗報告書では、トルコにおけるクルド人の人口は1千5百万から2千万人の間であるとしていた。KONDAの調査はこの主張が正しくないことを明らかにした。
クルド人割合が増加した原因は明らかである。つまり、この50年で、トルコ西部では教育と都市化といった(社会)変動が出生率を低下させたが、(クルド人口の多い)東部では農村の高い出生率が続いている一方、保健サービスの改善も人口割合を押し上げたのである。

■クルド人口

イラン出身のクルド・ナショナリストであるメフルダッド・イザーディ教授の主張とは逆に、この傾向は今後このようには展開していかないだろう。というのは、1980年以降、この地域で加速した移住や都市化、教育という変動が、クルド人の出生率を低下させているからだ。KONDAによれば、南東部で一つ屋根の下で6人以上が暮らしている大家族の割合は46.9%であるが、イスタンブルで暮らすクルド人たちの場合、大家族の割合が35%に減少している。
東部と南東部における出生率は1973年には7.3%であったが、1998年には4.2%に低下した。都市化や教育、通信、市場経済という変動が、この地域においても出生率を3%にまで近づけようとしている。
問題の別の側面は、人口がどれほど「統合」されているかということである。
アナトリアの人口は、歴史上いかなる時代にもなかったほど、互いに入り組みあって、統合されている。輸送交通、都市化、教育、市場経済のような変動が、数世紀も同じ場所、同じ村で暮らしてきた人々を新たに融合している。こうして「社会の3分の1の人が住む場所を変えた」のである。
エスニックなナショナリストが考える、「単一な型の人間」というものは非現実的になっている。そのため、クルド人やすべてのアイデンティティは、それぞれ一つずつの政治的、社会的、経済的、文化的集団であることから脱し、互いに交じり合っているのだ。

■アレヴィー人口

アレヴィーであると「表明している人々」の割合は、KONDAの調査では5%、つまり450万人である。しかし、アレヴィーの大部分の人々はアイデンティティを表明してはいない。これは長期間にわたり彼らが他者と打ち解けてこなかった結果である。
「変容するトルコにおける宗教、社会、そして政治」という名の研究において、ビンナズ・トプラク教授とアリ・チャルクオール教授は、「その他の質問」から興味深い発見をした。それは、預言者ムハンマド以降、最も重要な宗教的偉人は誰ですか、との問いに、「(第四代正統カリフの)アリー、(ベクタシー教団の名祖)ハジ・ベクタシュ・ヴェリ・・・」と答えた人の割合が11.4%となったことである。
あらゆるアイデンティティに帰属する人口がいるということを考えるなら、数値よりももっと重要な点が二つある。

第一に、寛容である。他者を思いやって振る舞うことは、「他者」を傷つけることを回避することになる。
第二に、統合である。仕事の関係や社会的付き合いによって、種々の集団や組織の枠組みのもとで出会い、結婚し、融合することになる。
トルコは、こうした方向にむかって、でこぼこ道や急カーブのある道、そして断崖絶壁にある道を進んでいるのだ。落ちずに、進め!

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:10480 )