İlhan Selçuk コラム: この国に優勢な「非愛国」
2007年03月27日付 Cumhuriyet 紙
土曜日(3月24日)の『ジュムフリイェト』紙1面の下段2番目のニュースの題名はこういうものだった。
「テロの罠;3名殉職」
「ディジレ県で陸軍車両が道路に埋められた地雷を踏み、兵士2名も負傷」
「テロ組織PKKが道路上に埋めた地雷が、またも兵士の家庭(の平穏)に炎を放つ」
その他の各紙はどのように報じたのか?
ご自身で探して見つけていただきたい!
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月曜日の『ジュムフリイェト』紙は、殉職した兵士たちが、悲しみに沈んだ葬儀によって見送られたことを報じた。(殉職者のひとり)ムハッレム・ヤラヌズ対ゲリラ部隊軍曹(の遺体は)、アルトヴィン県シャヴシャト郡のウルジャク村に埋葬された。
本紙のニュースの中から、人(の様子)に焦点を当てた文章を少々。
「葬儀のあいだ泣き叫ぶ様子を見せなかったムハッレム・ヤラヌズ軍曹の母ミュフィデ・ヤラヌズさんは、息子の亡骸が墓地に到着した際に、、後から手を振って『さようなら、わが息子よ』と口にした。」
これは、とある作家が書いた文学作品ではない。
人生の実情なのだ!・・・
殉職者、それを伝えるニュース、彼らの最後の旅路を見送るさま、遺族の反応――それらは、もはやメディアの人間にとって「あたりまえのできごと」だと考えられている。だから、新聞の中面にさえこのことについて触れたものはなかった。
としても、(当の)人々にしてみればそうだろうか?・・・
炎は、放たれた場所を焼くものなのだ!・・・
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トルコではある変化が生じている・・・
何のことかとこといえば:
「民族主義が高揚している」ということ
人によっては、この高まりにひどく苛立っている。
では、民族主義はどうすれば高揚しないようになるのか?・・・
トルコ社会で民族主義が高まっていると考える「イスラム主義―宗教主義を掲げる政権」はこのプロセスに参加しようとして政治的企みを試みている。一方、左派は反帝国主義的志向を「民族主義」の代わりに「国民的団結」の名の下に表明するのを好んでいる。なぜなら、かつて彼らは「トルコ―イスラム総合論」に非常に苦しんだからである。
しかし、この複雑な現実を変えることはできていない・・・
かつて「アメリカの命令によって共産主義に対抗して用いられた」「民族主義」が、今回は反アメリカ的な色彩へと変容し始めた・・・
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本コラムの題名にある「非愛国」という言い回し、あるいは表現は、私の発見ではない。エゲ・ジャンセン氏が『ヒュッリイェト』のあるコラムで用いたことがある。著作権は彼にあり、彼の権利を尊重することにしよう・・・。
今まで、トルコでは「愛国」が求められてきていたが、もはや「非愛国」がとりわけメディアでは優勢になった。
かつて、この国をソビエト共和国にすることを望みながらも転向した(dönek:解説参照のこと)「共産主義者や社会主義者」が大勢いたけれども、ちかごろの彼等はどうか。いわく:
「国民国家の時代は過ぎ去ったのだ!・・・」と。
またもや、先走っている・・・
かつても、先走っていたように・・・
国民国家の歴史は多く見積もっても2世紀であり、将来どこへ行き着くかは知る由もない。但し、トルコの今日の状況は、世界の国々の多くと同様、国民国家(の原則)に基づいて作り上げられたものだ・・・
信じられないのならば、殉職者の母親に訊いてみるといい!・・・
*
「愛国主義」はすばらしい感情だ。地に足がついた郷土愛の感情である。
「国民的統合」(あるいは「民族主義」)がこの根本に基づいている場合、(それは)現代性そのものである。
国を愛さない人々の妄言を真に受けないように・・・
トルコは我々の祖国である。
***解説***
○転向した(dönek)
この用語(原語)は、1980年の軍事クーデター後に、それまでの急進的左翼から離れて、リベラルな風潮の中で再登場した人々を、半ば嘲笑気味に語る際に用いられる。本コラムでの例のほかにも、dönek solcu(転向した左派)、dönek marksist「転向マルクス主義者」といった形で用いられる場合がある。
以上のような、特定の歴史的背景を含んだ用語であることに注意されたい。
(文責:長岡大輔)
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( 翻訳者:長岡大輔 )
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