Ismet Berkan コラム:選挙は「占う」ものなのか?
2007年04月03日付 Radikal 紙

その大方を人は覚えていないが、かつて西側のメディアや西側の情報機関では、「クレムリン学者」と称される人々が勤務していた。私は今になって思うのだが、アメリカのコンドリーザ・ライス国務長官も、彼女のキャリアを「ソ連学者」として始めたので、一時期、私的な「クレムリン学者」を務めたことがあった。

では、「クレムリン学者」とは何を意味していたのだろうか?ソ連は閉鎖的な国家であり、また閉鎖的な体制でもあったため、今からすればニュースの価値がないような事柄、特にソ連の指導者に関する情報の断片が、大きな「ニュースの価値」を帯びていた。同様に、5月1日(メーデー)の式典、10月革命○周年記念の式典、または、あらゆる葬儀やその他の式典――そういった場での指導者の姿を収めた写真を見ながら、大まじめに「分析」されるのだった。チェルネンコがブレジネフのすぐ右脇に見えることから彼が将来の指導者なのだ、とか、アンドロポフがほとんど手を動かしていないのは彼の病状が上向いたのだ、といったふうに関連付け(て論じ)られた。つまり、クレムリン学者達がやっていたのは、そもそも何らかの情報に基づくことなく、写真だけを見て行われる「分析」だった。

今、我々も同じことをしている。

先頃、『サバフ』紙は、エルドアン首相の国民に向けた会見での話しぶりを根拠に、彼が大統領選に出馬する決意を固めたとの結論を引き出した。(一方)、昨日の正午の(社内)会議で、我々は、当の首相が前日の晩にエスキシェヒルで行った演説を根拠に、(エルドアン首相が)大統領にはならないだろうとの結論を引き出した。

これらは、何がしかの情報に基づいたものではなく、見通しである。エルドアンが「我々は選挙に勝利するでありましょう」と言った場合、この発言は、彼が大統領にはならず、総選挙の時点で(AKP)党首に留まっているだろう、といった様に解釈されている。ただし、私は申し上げておくが、これはひとつの解釈である。首相が、たとえ5月16日にチャンカヤに昇ることになろうとも、今はまだ(AKP)党首であり、つまり、自らの党を讃えるのはごく自然なこと以外のなにものでもない。

これまで何度となく私は書いたことがあるし、必要ならば更に数十回でも書くが、これは、我々が身をおくトルコの民主主義にとっての恥である。そして、明らかに、今日かの民主主義の主役である首相と(与)党にとっての恥である。

大統領職が重要な地位であるとすれば、その地位に選ばれると考えられる候補者、あるいは候補者たちの経歴を知ること、彼らの思想や見解について知見を持つこと、そして明らかに必要な場合には彼らを批判することは、我々の権利である。誰も「その時が来れば明らかとなるでしょう、今私の存念を明らかにすれば論争になっていまいますから。」と言って、我々の権利を奪い去ることはできない。

民主主義に基づいて国民の名において下される地位に関して実施される選挙(→大統領選挙のこと)は、民主的手続きも明瞭でなくてはならない。

アメリカをご覧あれ。単なる連邦裁判所判事や検察官の任命ですら、政府の一方的な決定によるのではなく、任命予定の候補者が様々な角度から議論され審査されることによって、実現するのだ。

これを踏まえて、我々は、大統領職に、驚愕するような誰かを誰にも問わぬまま任じてしまわないよう、(検討のうえで)選択しようと努めているのだ。

フランスをご覧あれ。将来の大統領たる人々が何ヶ月間も選挙キャンペーンを展開している。書店のショーウィンドウを飾る彼らを扱った書籍は現時点で50種類に達した。

アメリカをご覧あれ。来るべき選挙には、ええ、そうです、2008年末に実施される選挙には、現時点で誰の目にも明らかな6人の「本格的な候補者」がいる。ここに、つまりトルコに居ながらにして、かの候補者たちそれぞれの基本的な見解を我々は把握しているし、気になる方は、彼らの人生のエピソードまで分かる。ひいては、彼らの資産についてさえ、望めば、インターネットを通じて「ぱっ」と知ることができる。

その後、トルコをご覧になると・・・。資産は別にしても、人生のエピソード、政治的見解、ひいてはアッラーに対しての名前(→実名)ひとつさえ我々には分からないままである。

そして、我々は、自分たちの大統領を、5月始めには選んでしまっているだろう。

手遅れにならないうちに、我々はこの民主主義の恥から助からねばならない。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:10557 )