Ece Temelkuran コラム:穏健なイスラーム国家へと突き進むトルコ
2007年04月04日付 Milliyet 紙

行政裁判所第8局のメンバーはお疲れさまでした!-内務省が作成し、タイイプ(・エルドアン)首相が必死になって擁護していた「赤い点」政策が却下されたのだ。
内務省は、お酒が街のどこでも飲めることに対して不快に思っていた。アッラーが他の苦しみをお与えにならないようにと... このため(内務省は)各自治体がお酒の飲める場所を地図上に赤い点で示した「ゲットー」に制限すべきと考えていた。だが、トルコにおける「陥落しない最後の砦」である司法は、この「アルコールゲットー化」計画に待ったをかけた。万一内務省の通達が却下されていなかったなら、お酒を飲める場所は都市の外に移され、街はイスラーム的生活の中心になることにまた一歩近づくはずであった。(だが実際には)そうはならなかった。
行政裁判所の決定は「同胞市民」によってサラジャック海岸(※)で、乙女の塔に向けてグラスを掲げ祝福された。しっかり楽しんで下さい!

■「宗教上の罪」の山に放り込まれる

はっきりと通達が却下されたとはいえ、我々の誰もが自分の街や村で日々目に見える速さでイスラーム的、保守的な生活に向かって一歩一歩前進していることを知っている。例えばすでに女性は誰も短パンを履けないでいるし、断食月にはイフタール(※断食明けの夕食)なしに食事をできないでいるし、アンカラの地下鉄では人が往来を妨げる形で集団礼拝をしている... 自分が保守的な人間でなくとも保守的な人間の考えに合う様な形で生活せざるを得なくなっている。公正発展党(AKP)政権によってひたすら美化されたこの状況は、徐々により一層うんざりするような様相を呈してきている。
だがこれに対して何をすべきか、さらにどのように(対処)すべきかということには問題がはらまれている。なぜならそれほどすっかりとこうした状況の中に追いやられているので、人々は「宗教的な罪」について擁護せざるを得なくなっている。問題は支離滅裂な状態になってきている。
我々はまるで開けっぴろげな服装を擁護し、酔っ払うことの肩を持っているかのように、あれこれ多くの全く望んでいないことを擁護しているかのような状態に陥らされている。しかし実際はあなた方、すなわち我々は、人間らしく生きることや、何か1つの生活様式が自分たちに押し付けられるべきでないことを擁護しているのだ。

■イスラーム風スカーフをかぶった若い女性たち

彼ら(=保守派)は不必要で根拠のない怨念を抱いて行動している。まるでこれほどまでに長い間ひどく抑圧されて、ようやく今(抑圧する側の)順番が自分たちに回ってきたかのように... しかし実際は、保守派のうち抑圧を受けている集団は唯一、イスラーム風スカーフをかぶった若い女学生だけであり、自分たちの信条が政権に反映されているにもかかわらずそれを伝える役目の男性は彼らの信条のために何一つしていないのだ。この二面性を男性たちに思い知らせてやりたいと思っている若い女性たちはといえば、「口うるさい」と非難されている。

■構造が変わる

私たちはこれからの1年で、トルコが大きく変わる様子を目の当たりにするだろう。とりわけ選挙の後に、トルコが「穏健なイスラーム国家」になるさまを見ることになるだろう。例えばAKPや保守派に近い人々がマスコミや主要なメディアにおいて要職に就くだろう。街中での私たちの生活も変わるだろう。
司法は、ある面で最も激しい構造転換作戦の標的となるだろう。「宗教的な罪」を擁護する人々は徐々に減り、より怯えながら行動するようになる。より正確には、気楽な、普通の、自由な生活をよしとする人々が一層「宗教的な罪を擁護する」立場に押し出されるだろう。
この問題は、軍国主義の儀礼の中で育ち、自分や歴史を裏切って愛国主義者を名乗っている人たちの手には負えないほど深刻だ。我が国のバランスは崩れつつある。国体は保守主義ののりでがちがちに固まりつつある。後になってどんなに水を注いでも解きほぐせないことが分かるだろう。この流れはそうした流れなのだ。 


(※)イスタンブルのアジア側、ウスキュダルにある観光名所「乙女の塔(Kız Kulesi)」の向かいに位置する海岸。ウスキュダル市当局が海岸で酒を飲む人に罰金を課し、インターネット上で氏名を公開したことに一部の市民が反発し問題となった。
参考:http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=205088(トルコ語)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10564 )