Haluk Sahin コラム:インターネット検閲で忍び寄る言論統制
2007年04月04日付 Radikal 紙

あなたが砂漠のほとりにある一軒の家に住んでいるのなら、砂粒から解放されるのは難しい。あらゆる機会を捉えて、特に嵐の時期には道や穴や隙間やひびを見つけてそこから入り込んで、全く思ってもみない(部屋の)隅々に届く。ロクマ(※一口ドーナツのようなお菓子)を噛んだとき、がりっという音が... 砂はそこにも入り込むことができたのだ。

表現の自由の禁止という観点から見て、トルコはこのような(=砂漠のほとりにある家と同じような)位置にある。我が国の肥沃な大地の上のあるいかなる種類の異なった考え方も、必ず制約と直面した。何らかの新しいことに少しでも出くわすと「禁止すれば済む話だ」と言うことは、文化的な条件反射になった。宗教中心主義者から世俗主義者に至るまで、禁止する言い訳を作ることにおいて我々より秀でた者はいないだろう。

気をつけて!やっぱり1つの砂粒がある!禁止をするという条件反射は今度はインターネットから我々の生活に侵入しようとしている。交通省によって作成され、目下トルコ大国民議会(TBMM)で審議されている法案が成立すれば(というのも、成立すると見られているのだが)、やはり我々がいつも身を置いているおなじみのカテゴリー、すなわち圧力と検閲のある国というカテゴリーの中で自分たちの姿を発見することになる。そうして国民主義的な感覚で次のように反抗するのだ:「こうした外国人たちが我々をいつも不当な目に遭わせている!」。

この問題の専門家であるムスタファ・アクギュル博士は、至極はっきりと語っている:「この法律が通れば、トルコはEUの道ではなく中国やイラン、ベトナムやサウジアラビアのモデルを選択したことになる!」。なぜなら(この)法律により、交通省の組織の下にテレコミュニケーション・通信総局という名称で検閲の部局が創設されるからだ。この部局は時に裁判所の許可を得て、また時にはそれさえ必要なしにインターネットで流れるものを禁止することができる。つまり、国自体がインターネットのフィルター状態になるのだ!

EUもアメリカもこのような措置を認めていない。認めている国は上で挙げた通り、いつものいわく付きの国々だ。我々の選択は民主主義(体制)の側ということになっている。しかしありがたいことに親EUの我が政権はこれ(=インターネット検閲法の整備)ができるが、最大野党はグーの音さえ出さない。なぜなら一見この法律は胃をむかむかさせるような一連の犯罪(子どもの搾取、わいせつな行為、売春、自殺への誘導、賭博、薬物)を防ぐものであり、議論の余地のないもののように見えるからだ。私にわいせつ行為の規模がどれくらいなのか教えて欲しい。

そもそも事はそこで終わっていない。法案は「電子的な環境での会話、メッセージや類似のサービスにおいて行われるフィルタリングや情報の遮へい、監視」についても基準を設けることに言及している。(政府は)「チャット」での「失礼な言葉」を禁止するつもりなのだろうか?あるいはいつの日か、中国がやっているように政治上の誹謗中傷の(取り締まり)にも着手するならどうなるだろうか?「まさか」などと言ってはいけない。こと自由に関しては、心配しすぎるくらいがよい。砂漠のほとりの家には砂粒が入るのだ。

情報データ市民社会組織プラットフォームは問い掛けている:なぜこの法律は密室で作成されたのか?なぜ民間セクターや市民社会組織と協働しなかったのか?なぜユニバーサルな法の原則やインターネット権利声明とサイバー犯罪宣言の枠内で自己規制と共同管理のための組織を創設することは適切だとみなされなかったのに、すぐに管理主義に走ったのか?民主的な国ではインターネットフィルターを、必要と感じれば国民が作る。国家がインターネットフィルター業に着手しようとするなら(民主主義という)体制の名前には再考の余地がある。その国は砂に沈む。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10565 )