Resul Tosun コラム:危機的なのは共和国ではなく共和人民党
2007年04月14日付 Yeni Safak 紙

今日(4月14日)、アンカラで集会が開かれる。共和国を守る集会だ。この集会の主催者を支持する人々や参加者に目をやると、そこには国民に立腹している勢力がいるのがお分かりになるだろう。国民の選んだ政権に立腹している勢力をご覧になるだろう。司法に立腹している勢力をご覧になるだろう。在任時には国民の意思に反する不法行為を抑えることができず、今は引退した人々をご覧になるだろう。野党第1党として国会で(国民を)代表する共和人民党(CHP)をご覧になるだろう。

こうした人々は、国民が覚醒すると共和国が危機に陥ると思っている。CHP(の勢力)が後退すると、共和国が危機に陥ると思っている。しかし実際は共和国は危機に陥っていない。危機的なのはCHPの方だ。

この集会では一部の大学関係者の姿をご覧になるだろう。教員や学生を(参加するしないを)身上書に書いて色分けするというような圧力をかけて連れてきたことがお分かりになるだろう。なぜなら危機に陥っているのは共和国ではなく、大学側の圧制的、強権的な考え方なのだから…

我々の同胞がこのような集会を開く権利はないのか?もちろんある。それは法的な権利である。

しかし携帯電話にさえ送られてくるメッセージから分かることなのだが、この集会は真の危機に対して行われてはいない。集会は想像上の危機に対して行われている。私は想像上の危機と呼んでいる、なぜなら集会を開く人々は、共和国を守るためにやっていると思っているからだ。彼らはそう思っていると私は言っている、なぜなら彼らはトルコの現実をありのまま見る能力に欠けているからだ。

特定の(人間・社会)環境から外に出ず、特定の報道機関に追随し、異なった環境に(身を置く人々に)対して常に偏見を持って行動している人々は、現実を理解できないために共和国が危機に陥っていると思っている。

この考えの根底には、彼らがいつも見慣れたエリート以外に、彼ら自身が大学で先生であったり、公共機関のトップであったり、事務次官であったり、国の運営に影響力を持つ立場にあることがある。

発達した民主主義のおかげで公共機関で役職を得たアナトリアの子どもたち(=アナトリア出身者)は、このエリートたちにとって目障りな存在だ。アナトリア出身者がお酒を飲まず、バーで格好つけず、礼拝をして妻がイスラーム風スカーフをかぶっているならなおさら世も末、共和国は失われるのだ!

共和国(cumhuriyet)とは前にcumhurという言葉のついた、すなわち多数派、つまり国民に依拠したシステムである。

もちろん長い間国民が(国の)運営に参加することを一面で阻害しながら民主主義を実態ではなく言葉の上で機能させてきた人々は、国が民主化すればするほど、国民が国の運営に口を差し挟めば挟むほど、こうしたことに立腹し始めた。そのいら立ちをカモフラージュするためもあって、共和国が失われると大声で叫んだし、今でも叫んでいる。

皆さん、共和国は失われていない。共和国は根付きつつある。共和国は定着しつつある。共和国は共和国になりつつある。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10647 )