Can Dundar コラム:ノクタ誌、終止符はうたれたのか
2007年04月23日付 Milliyet 紙

1986年1月の最終週のことだった…。
ノクタ(雑誌)のアンカラオフィスで私は働いていた。今は亡きエルジャン・アルクルが編集責任者を務めたこの雑誌はすばらしいメンバーに恵まれ、毎週世間を沸かせるような記事で最新ニュースを伝えていた。

ちょうどその頃、私はロンドンで6ヶ月勉強するための奨学金を得た。飛行機で私の隣にはエルジャン氏がいた。「来週すごいニュースを載せるよ。残念だが君は逃してしまうね」と彼は言った。

「特ダネ」とは、拷問していた警官の告白のことだった。拷問の一部始終を事細かに説明していた。当時9月12日(1980年9月12日のクーデター)が生んだ沈黙の雰囲気はまだ解消されていなかった。そのような状況下でこの勇気ある行動は騒ぎを巻き起こし、私はロンドンでそのニュースを聞いた。

発行部数が7万冊から15万冊に伸びた。こんなことは、トルコの雑誌界初のことだった。

もちろん当局者たちは、警官の告白よりもノクタのことを取り上げた。

「告白は国外を震源として意図的に述べられたものだ。」
「ノクタの目的は、国家の権威を失墜させること、トルコの尊厳を傷つけることだ。」
「その警官は左翼との繋がりがあり、雑誌の編集者も左翼である」などと言われた。

2刷りを準備している時、回収が言い渡された。しかし、ノクタはくじけなかった。次の週、「告白」の第2弾が出版された。9月12日の拷問を経験した人々の主張が証明された。時と共にノクタに対する中傷は忘れ去られていった。しかし、その告白が忘れられることはなかった。

20年の歳月が過ぎた今、20年前と同じことが起こっている。

編集責任者アルクル亡き後、ノクタは姿を消してしまった。
ノクタを蘇らせた、近しい「仲間」がいた。私がロンドンに行ったちょうどその週、昔のノクタで働き始めたアルペル・ギョルムシュが編集責任者となり、ノクタは再び昔のような「斬新で、手に負えない雑誌」となった。

次々と炸裂させる「特ダネ」で、話題をさらった。まずは軍部の「メディア評の覚書」を、次に昔の海軍司令官のものと主張されるクーデター準備の日誌を載せた。

また同じことが起こった。

この主張の(検証の)代わりにノクタが尋問を受けた。
「国外(の勢力)に拠る、国家の権威を失墜させようとする出版社」という汚名を再び着せられた。
「雑誌の編集長は、軍に反対のフェトッラ-派の者だ」と言われた。

ノクタは、囲まれ、押さえつけられ、隅々を捜査された。
そして政治家たちからの反応はなかった。

現在、ノクタは姿を消している。

というのは、エルジャン・アルクルのようなプロの、勇気あるパトロンがいないからだ。政治家、(そして)マスコミの表現の自由を擁護せずに、国家権力に取り囲まれて自分の利益を損なうことを恐れる実業家たちに期待するのは、夢見物語にすぎない。

お分かりのように、検閲はただ雑誌を回収するだけでは済まない。出版社に対する圧力や、経済的圧迫や、政治的脅迫や、その他の恫喝、読者の偏見にまで拡大する。

しかし同時に、すべての人を黙らせることも不可能である。ノクタを蘇らせたアルペルたちは、他の場所で新聞記者として仕事を続けてくれることだろう。

そしてノクタは、時折埋められた場所から顔を出し、マスコミに本当の任務を思い出させるいたずら好きなゾンビのように、20年ほど後に、「そろそろ目を覚ましなさい、我々は戻ってきた」と言うかもしれない。

追記:マスコミが今まで受けた圧力に関心がある方は、私と同業者であるネビル・オズゲンチュルクが制作した『マスコミの小史』というドキュメンタリーを今日と明日TV8でご覧ください。


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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:10711 )