1380年代(2000年代)におけるペルシア詩の変化:ダストゲイブ氏の視点
2007年04月22日付 Iran 紙

2007年4月22日 イラン紙

 「1380年代(2000年代)は、詩について言えば、新たな潮流をもたらした。たとえそれは未だ始まりにすぎないとしても。」

 作家で文学批評家のアブドル・アリー・ダストゲイブ氏はイラン学生通信(ISNA)に対して上記のように発言し、更にこう述べた。

 「1380年代(2000年代)はまだ終わっていないが、半分が過ぎたところで、私には1380年代の詩は1370年代(90年代)の続きであると思われる。1360年代(80年代)の初め、ペルシア詩は表現の点で3つのタイプに別れていた。私たちが現代的な世界を知った時代、詩人や作家や知識人たちの思索や感情に変化が見られたが、それはつまり、社会において不変であり、また芸術においても尊重しなければならないところの原則が崩れてしまったということであった。」

 同氏は更にこう続けた。

 「[サファヴィー朝下(1501-1722)で]「インド・スタイル」(*1)の作風をとる詩人たちが登場し、抗議の意味を有する奇妙な比喩を用いた時、雄弁さや美辞麗句をよしとする[伝統的な]文学者たちはいい顔をしなかった。そのために、カージャール朝(1779-1925)初期、文学において「復帰運動」が見られ、詩人たちは過去の詩人たちの方へと向かうことになり、サファヴィー朝時代に「インド・スタイル」の詩において現れた革新はそれほど歓迎されなかったのである。」

 ダストゲイブ氏は1380年代(2000年代)の詩の特徴として次のように述べた。

「この年代の詩において詩人たちが拠り所とする世界観は、人間世界には絶対的なものは何もないということである。同様に、これらの詩では文体を崩すことは稀にしか問題にならず、古い文体は尊重されない。パーシャー、ファッラーフ、アブドル・レザーイー、シュウハーニーなどの詩人たちの作品では[伝統的なペルシア語詩のスタイルを]全くとっていない。」

(中略)

 またダストゲイブ氏は次のように信じている。

「1380年代(2000年代)の詩は1350年代(70年代)や1360年代(80年代)の詩とは、大きく距離を隔てようとしている。1380年代(2000年代)の詩は、ソフラーブ・セペフリーやニーマー・ユーシージュ、アフヴァーン・サーレスなどの詩とは大きく異なり、アヴァンギャルドな詩人たちは、ペルシア現代詩を代表する[上記セペフリーら]5人の詩人たちがもたらした「袋小路」――ペルシア語詩を高みへともたらしたが、同時に後続の詩人たちに対して道を閉ざしたところの――から脱する道を模索している。」


*1:サファヴィー朝(1501-1722)時代に生じた、印象主義を特色とするペルシア詩の新たな作風。サファヴィー朝下ではシーア派国教化政策の結果としてシーア派神学や文学が発達したが、その反面、伝統的な頌詩や叙情詩、神秘主義詩の衰退を招いた。サファヴィー朝イランに保護者を見出すことのできなくなった詩人たちは新天地を求めてインドに渡り、多くの詩人がムガル宮廷に仕えた。この結果生じたのが「インド・スタイル」であり、繊細で難解な神秘主義思想や哲学的内容を技巧を凝らして比喩的に表現するのを特色とした。

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( 翻訳者:下山伴子 )
( 記事ID:10723 )